特発性過眠症と猫と

特発性過眠症と診断された筆者の病気の経緯と、一緒に暮らしている2匹の猫との暮らしの日記。終わりたいけれど、生きなくては、とも思う心の不安定な様を不定期更新しています。

休みの日なのに病院ではないところに行って来ましたよ|特発性過眠症と猫と

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27日、土曜日は東京ドームにプロ野球を観に行った。

 

プロ野球には全く興味はないのだが、

仕事場の人にチケットをもらってしまうのだ。

 

一緒に働いている人は、東京生まれで巨人ファンなので

それは大変大喜びでわたしを誘う。

 

この日で巨人戦を観に行くのは4回目になる。

 

高校野球観戦だったら喜んで出かけるのだが、、、

 

巨人の選手は1人も名前も知らない。

(4回目にしてやっとサカモトさんとシンノスケさんの名前は記憶した。

顔は残念ながらわからない)

 

仕事場の人には、

” 他の方を誘っていいんですよ?私でなくても・・”

というのだが

” ううん、いいの。行くでしょ?”

 

まあいいか。お付き合いだしね、

と言い聞かせて出かけた。

 

席に着くや否や、可愛いお姉ちゃんから高いビールを買う。

殆ど飲みに行っているようなものだ。

出かける前に家でもいい加減飲んでいるというのに・・

 

私はスポーツ全般に興味がない。

しかし野球だけは、ルールは知っているし、

しかもとてもいい席だったりするし、

全くつまらないというわけでもなく

流石プロだなあと感心する場面もあったり。

この日の試合は酷いものだったけれど。

 

 

たまには杏林以外に外出も必要なのだろうから、

時間もったいなかったなとか、

深く考えないようにしている。

人と一緒に飲むお酒はまた美味しいから。

 

今週は朝はきちんと起きることができたが、

午前中が眠くて眠くて仕方のない週だった。

また来月、診察に行けなかったら

薬も節約しておかないとな、とも思い、

朝にベタの追加はせずドリンク剤を飲んだりして何とか耐えた。

 

通勤中は激混みの中央線でも立ったままうとうとしてしまう。

駅につく度に、降りる人乗る人にどつかれまくって、

一瞬目が冷めるのだが、

今ここが何処なのか、何故ここにいるのか、家なのかわからない。

夜は眠剤も不要で、猫のちことじゃらしで5分ほど遊んで、

すぐに眠りに落ちる。

寝付くのに1分もかかっていないのではと思う。

 

でも、なんとなく過眠症の眠さとは違うような気がした。

普通の人の睡眠不足の眠さのような感じで、

寝坊してしまうのでは?仕事中眠ってしまうのでは?

といった不安は少なかった。

 

回復?

いや、やっぱり薬のおかげなのかな。

 

 

 

猫達は季節柄抜け毛が激しい。

服も部屋もすぐに毛だらけとなる。

 

家族にこの様な毛深い者がいない人達は

顔をしかめるだろう。

 

掃除とスキンシップも兼ねて、

朝晩こぶーちゃんとちこにブラシをかける。

面白い様に毛が取れる。

そして2人とも気持ちよさそうに目を閉じて喉を鳴らす。

そんな時間にわたしも癒される。

 

だから朝晩の猫たちとの時間は出来る限り優先している。

 

仕事に行けば、昼休憩の1時間しか緊張から逃れられないので

1日の約半分は気持ちがざわざわしていて、精神的に疲労する。

 

朝晩猫たちに安らぎをもらい、

日中は猫たちのために労働を賃金に変える。

家族を守る大黒柱のお父さんの様な感じ?なのかな。

 

ちこが25日で6歳になった。

(元野良ちゃんなので推定誕生日だが。)

ちこのほうが1か月年上で

 こぶーちゃんは6月27日で6歳。

こぶーちゃんの方が年下だが、ちこの面倒をよく見ていて

まるでお姉ちゃんみたいだ。

 

こぶーちゃんとちこは従姉妹。

 

こぶーちゃんはわたしと暮らしていたが、

ちこはパートナーの猫だった。

心無い人による虐待でちこはパートナーに保護され、

そしてわたしと暮らすようになった。

ちこは虐待により今もびっこだが本人は気にする様子もなく、

毎日じゃらしを咥えて、わたしの元に『遊ぶ?』とやってくる。

 

わたしはお母さんであり、お父さんであり。

毎日こんななのだが、今はそれでいいかな。

 

だって、一人じゃないと言っても、

実際一人だし、

まだ一人で何か違うことをするエネルギーも蓄えられていないし、

いつも支えてくれていた人がいないから、いろんな事が

何しろ怖いのだもの。

 

 

 

やれば出来る。やっと診察へ|特発性過眠症と猫と

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明日土曜は、仕事が休みだ。

何が何でも薬をもらいに行かなくては。

 

でも起きられる自信がない。

眠らずに土曜の朝を迎えるのが最善策なのかも知れない。

ベタナミンリタリンを服用すれば、一晩くらい起きていられる。

 

でも1週間働いた体は疲労MAXと言っているし、

徹夜をすると次の日、動悸が激しくなる。辛いのだ。

 

なので眠ることにした。

ストラテラベタナミンは節約したから数錠だが余っている。

これらを服用して23時に寝床へ入った。

 

もちろん眠剤は無しだ。

 

” 明日は仕事だから起きなくてはならない。”

 

仕事ではなく診察なのだが、

緊張感を持たせるため、自分を騙すつもりで

30回頭の中で唱えた。

 

目が覚めたのは、土曜日の明け方2時半だった。

 

やった。行ける。

慌てて枕元にセット済みの薬を水筒の氷水で流し込む。

そして、2度寝をしてしまう前に寝床から出た。

 

いかんせん早起きすぎるのだけれど、そして外は雨が降っているのだけれど

普通に生活を送るためには、杏林に行かなくてはならない。

 

温かい紅茶を入れて、ぼんやりしたり本を読んだり

猫にちょっかいを出したり、のんびり朝食を作ったりしていたら、

あっという間に出かける時間となった。

 

” お母さんはちょっと病院まで出かけてくるよ。

いい子で待っててね。ちゃんと帰ってくるから ”

 

猫のこぶーちゃんとちこにそう言って頭にキスをして

部屋を出る。

あとはひたすら待てば薬がもらえる。

 

 

4月15日が予約の日だったのだが、起きる事が出来ず、

翌週22日も起きる事が出来ず、その翌週29日は旗日で、

翌月5月6日は仕事であった。

予約日から1ヶ月も診察に行けずにいた。

薬は節約をして、リタリンだけはだいぶ残っていたが、

あとはストラテラカプセル、ベタナミンが数錠のみで

他7種類あまりの薬はとうに無くなっていた。

当たり前だが。

 

薬がなくて不安の日々は、それでも何とか寝坊はせずに済んだのだが、

日々の疲労・脱力感は結構ひどく、ヘパリーゼなんかを飲んで

何とか通常を保った感じだ。

このヘパリーゼ、暗示かも知れないが、

眠気には効果はないけれど、少し疲れが取れるような気がしている。

常備してもいいかも知れないな、などと思う。

 

 

 

Dr.に平日は2時半とかに目が醒める事が多い事、

休みの日になると目覚まし音は全く聞こえずに

30時間は平気で眠ってしまう事を話した。

 

” 気持ちが緩んでしまうんですかね。

とても嫌なのですが、どうしようもなくて・・”

 

と言うとDr.は

 

” この手の薬をこれだけ飲んでいれば

週末は睡眠不足でそうなるのは当然です ”

 

と言った。

 

・・そうなのか。

甘えじゃなかったんだ。

 

何だかとてもホッとしてしまった。

 

でも6月10日にはまた診察だ。

起きられないのは当然、とは言われても、

起きなくてはならない休日もあるのだ。

ストラテラカプセルとベタナミンを飲んで眠っても

起きる事が出来ない時もある。

ホッとしている場合ではないのかも。

 

これさえあれば大丈夫!という何かを見つけたいと切に思う。

 

・・・まあ、そんなものは存在しないだろうけれど。

 

眠りにつくためのものは色々あるのに、

(我が家にも2匹の強力な眠剤がいるけれど)

眠りから覚めるためのものはあまりないと思う。

 

ドリンク剤も、朝の太陽光だって過眠症には効果はないのだから。

 

耐性の出来ない覚せい剤を、作って欲しい。

 

薬は勿論完全ではないけれど、今一番頼っているのは

薬だということ、自分の力で生きている感じがしなくて

厭なのだけれど、でもこれは紛れもない事実で、

いい加減認めないといけないなあと思っている。

だけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また撃沈。病院に行きたい!|特発性過眠症と猫と

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4月15日の土曜日は、杏林の予約日だったのだが、 またしても撃沈。

目覚めたのは日曜の夕方だった。 勿論キャンセルの連絡など入れていない。

自分にほとほと呆れながら、来週の土曜日こそ 絶対に行かなくては、と思う。

22日の金曜夜、明日は起きるぞ、とベタナミンを飲んで眠った。

目覚めたのは、土曜の夜。

日曜日でなかったのは嬉しいことだが、 またしても病院に行けなかった。

布団の上で膝を抱えて座り、しばし打ちひしがれる。

どうしてなんだろう。

先週はダメな週で、3回寝坊をして、うち1回遅刻。

でも今週は優秀で、1度も寝坊しなかったのに。

ここのところ、次の日が休みとなると、 甘えが出るのか、安心してしまうのか、 起きる事が出来ない。

今は3個の目覚まし時計と、ラジオ。

それと3:45分から15分おきに鳴るように セットしたiPhoneの5個の目覚ましで起きている。

休みの日もリズムを崩さないように 同じ時間に鳴るようにしている。

どうしても日中眠いようなら、 床で浅い眠りの昼寝をすれば良いと思うから。

しかし、そのどれもが聞こえないのだ。

聞こえていて2度寝をするなら対策もあるが、 聞こえないのは、なす術がない。

薬たちを入れている引き出しは スカスカになっている。

来週の土曜日は、仕事が休みだ。 でも旗日。

杏林も休みだろう。

その次の土曜は出勤日だ。

さて。 どうすべきか。

この先3週間はだいぶ無理をしないといけないようだが 果たしてその無理でしのげるのだろうか。

・・・と、人ごとのように言っているが 本当はとても心配。

ここしばらく服用している昼のリタリンベタナミン。 薬の節約のために控えようか。

昼に服用すると、帰宅した時に楽な事を発見した時から 続けていたが、近頃、前ほど効果を感じない。

朝も抜かないと本当のリセットにはならないが、 プチリセット、になるかもしれない。

まあ、前向きに、何とかやってみるしかないな。

そういえば、4月は過眠症の診察と、 他に呼吸器内科の診察を 受ける予定でいた。

年末のがん検診で、左肺に2箇所 ”肉芽種疑い、半年後再検 ” という結果が届いたからだ。

おそらく何ともないだろうが、念のため。

別に死んでも構わないが、こぶーちゃんとちこが 生きているうちは生きていないとならない。

健診でも色んなところが引っかかり、 歳をとるってこういう事なのね、と思う。

13日はパートナーの誕生日だったので お参りに行った。

誕生日といっても、パートナーは もう歳をとることはない。

私ばかり2つもババアになってしまった。

パートナーが笑っている気がする。

色んな事が残念でならない。

ミッションコンプリート 診察日|特発性過眠症と猫と

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調子よくすっきりと目覚めることが出来ていた日が続いたのだが、

次の週、訪れたのは目覚ましの聞こえない週だった。

かろうじて仕事に遅れるほどの寝坊はなかったが、

明日は起きれるのかと夜、眠るのが怖かった。

 

昨日は診察日であった。

薬もないし、絶対に行かなければならない。

なので、夜に眠剤は飲まずに代わりにベタナミンを飲んで寝た。

何とか目覚ましは聞こえたが、眠くて動くことが出来ない。

そんな中、こぶーちゃんとちこがゴロゴロと言いながら

代わる代わる布団の中に入ってくる。

幸せな地獄。

 

2時間の葛藤の末、何とか杏林へ向かった。

予約時間30分の遅刻。

予約時間に行っても、大概待つことになるし、

それに耐えられなくて、誰にも告げずに帰ってしまう人もいる。

他人事ながら、薬、あるのだろうか、などとぼんやり思う。

 

診察は5分で終わる。特に薬の変更はない。

 

薬局でも、小一時間待つ。

処方されているリタリンは、シートの薬ではなく

瓶詰めなので、一々分包してもらわなくてはならない。

時間がかかるので、ある時から朝の分、昼の分、と

まとめて容器に入れてもらうようお願いをしている。

それなら錠数を数えて、ざざっと容器に入れるだけだ。

しかし、この所、

リタリンを容器に詰めたりするので、

一時間位かかりますが、宜しいですか? ”

と言われる。

え?ざざっと入れるだけなのに?

と思うが、まあ薬の種類も多いし、仕方ない。

変な言い訳しなければいいのに。とは思う。

 

 

最近処方されたストラテラは効いているような気がする。

ダメな時はベタナミンリタリンを服用しても、何をしてもダメなのだけれど。

でも、何となくだが、起きやすくなった気がしている。

暗示なのかもしれないが、暗示というのも大切な要素。

ストラテラを服用し、目覚ましをセットし、

枕を4回叩いて、明日4時に起きる!

と唱えて眠りにつく。

 

 

この頃の土日が休みの週末は、金曜の夜に寝て、撃沈。

日曜の昼過ぎに目覚め、たくさん眠ってもすっきりせず、

何の意欲もなく、起きてもなあ・・・と思う。

そのまま寝続けられることができるのだが、

次の日は仕事なので、仕方なく起き上がる。

身体中がだるく、このまま寝たら次の日歩くことさえままならなくなるから。

飲まず食わずだったのに、お腹が空いているのかもわからない。

とりあえず発泡酒を開けて、考える。

そして、やりたいことはたくさんあったのに、時間を無駄にしたことを責め立てる。

いつもそうだ。

片付けられないものがどんどん溜まっていき、

部屋が汚いことにストレスを感じる。悪循環。

丸一日寝たからとてスッキリすることはなく、

頭も痛いし、背中も痛い。

何か食べようと思っても、食べたいものも思い浮かばずどうして良いのかわからない。

あればヨーグルトやなんかのやわらかいものを口にしてみるが、

それでもお腹が空いているのかわからない。

食べると気持ちが悪くなったりすらする。

そして、どうして起きられないのか、考えてもどうしようもないことをずっと考える。

 

罹患して間もない頃、起きることが出来ないので、

睡眠を浅くしようと1年以上、布団ではなく、床で眠っていたなあ・・

などと思い返す。

起きられないなら眠らなければ良い、と、1週間眠らずに過ごせるわけがないのに

ベタナミンリタリンを飲んで徹夜をし続けたこともあったなあ。

それで、吉祥寺に住んでいた頃、明け方に近所の組長宅への

銃声を聞いたんだっけなあ。

 

発泡酒の空き缶ばかり増え、何もしない週末が終わる。

 

うまく付き合おうとしているのに、突っぱねられる。

いつになったらわかりあえる様になるのだろうか。

 

 

 

 

 

4回目のチャレンジ。やっと病院へ。|特発性過眠症と猫と

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休みの日となると仕事からの緊張が解けるのか、寝過ごすつもりはないのだが、

診察日と言えども目覚し時計の音が聞こえない。

失敗続きで、時遅し,目が覚めた時は言葉に表せない、

消えてしまいたいような気持ちになる。

2月4日の土曜日は4回目の診察日チャレンジとなり、なんとか成功した。


この週は、なぜだか順調に起きることができていた。

ストラテラカプセルの効果なのか、3時ごろにパッチリと覚醒してしまう日もあり、

早いなあと思うが2度寝はせず、朝の覚せい剤他諸々を氷水で流し込み、寝床から出る。


少しくらい早くても寝坊するよりかは遥かに良い。と、最近思う。


3度も診察を逃して、もうとっくにリタリンベタナミンしか薬のストックがなくっており、

随分前から、明日は起きることが出来るのか?と不安倍増の日々であった。


わたしの診てもらっているDr.は予約日を逃しても、

土曜の午前中の受付時間を過ぎてしまっていても、

ほかのDr.と違い、受け入れてくれる。
重症の患者を多く診ているからなのだろう。

過眠症の外来のわたしは、睡眠外来という括りだが、

大きく言えばそこは精神科で、今でこそやや一般的になってはいるが

一昔前なら精神科に通っているなどと知れたらばえらいことになる診療科で、

一昔前の人間であるわたしは

やはり精神科に通っていることを大きな声では言えないでいる。


過眠症に罹患する前も、メンタルクリニックに通っていた。
鬱だったり、今とは逆で眠れなかったり。

足して2で割りたいと今は思う。


わたしの場合は、眠れない方が楽だったと思う。
楽という言い方は語弊があるかも知れないが、

眠すぎるのは、社会的立場から見てもマイナス、ダメージが多いということは事実なのだ。

不眠は、眠剤を何錠かか飲めば何となく眠れて、

健忘や翌朝作用が少し残ることはあったが、それだけだった。

過眠は覚醒しなければ薬を飲めないし、

覚醒剤を飲んでも覚醒しないことも多々ある。


怠惰、の一言で片付けられがちだが、そればかりではない。


でも、不眠も過眠もないに越したことはないと思う。
どちらも眠りの悩みから解放されたいと心から願っているはずなのだ。
だから臨床医がいて患者がいる。
いつか普通に生活出来ることを思い描いて、病院に行き薬を服用する。
努力が足りないなどと思わないで欲しい。
誰よりも本人が一番治りたいと思っているのだ。

全てを理解してとは言わない。無理だから。
でも治療薬のないこの病。

死と連動はしていない。

一般の病気の概念から外れてしまい、認めてくれる人は少ない。

そのことも大きく罹患者を苦しめている。

 

本日は薬の変更なし。

やっとレギュラー薬が揃い、安堵する。

薬がなければ通常の生活が送れないのは悲しいが、

致し方ないものね。






先日、とても久しぶりにある方からメッセージを頂いた。


どうしているかなあ、と心配をしていた方だったので、

メッセージを頂いたことをとても嬉しく思った。


同時に心配していたことが的中してしまっていたので、

やっぱりそうだったのか、と悲しい気持ちにもなった。

わたしと同じく過眠症に罹患していて、

いつもわたしに頑張ろうという気持ちをくれる方だ。

今現在、とても辛い状況下にいるが、生を選択し、

何とか頑張ろうとしている。
懸命に周囲を見回し、冷静であれと自分を制し、

今時分に出来ることをしようとしている。

立派だなあと思った。


自分はなんだと思った。

辛い辛いと一生懸命同情乞うて果てろ。

こんな歌詞があったが、今のわたしだ。


自分が一番可哀想と思っているつもりはないが、

辛い辛いと嘆いているのは事実。
なってない。甘えているんだ。

誰かが助けてくれると思っているのでは?

人は皆、誰もが一人だ。
自分のことは自分でやらなくては、何も始まらないし何も終わらない。
誰もやってはくれないのだ。

いっぺんにじゃなくていい。

少しずつでいいから自分で片付けなくてはならない。
少しずつでもやっていけばいつかは解決する日が来るはずだ。


色々と背負う物は増えて来るが、それが生きるということなのだと思う。

 

人は生まれたら必ず死ぬ。

死は、自ら選択する人もあるが、大抵は明日も生きていると言う前提で

眠りにつく。

生と死は、実はとても近く、隣り合わせで存在するのに

そのことを意識する機会はとても少ない。

 

 

 

 

 




パートナーのことを少し書いておきたいと思う。



とても心の大きな人だった。

人の悪口は言わないし、怒り、罵りや憎しみの類の感情を見せたことはなかった。
いや、見せないというのではなく、

本当にそういった感情を持ち合わせていない感じであった。
何事にも先入観を持たずに、誰に対しても常識的に心を開く人だった。
頭が良く、話が上手だった。

ユーモアがあり、友人が数え切れないほどいた。



わたしと同じ職場に入社するまでは、フリーランス

ウェブサイトや本、CDなどデザインの仕事をしていた。
絵を描くのもとても上手だった。

楽しむ時は楽しむ。

 

次の日仕事早いから、ちょっと今日はこれで・・・

などしらけることは言わない。

人ともたくさん関わりあって、尚且つ自分の時間も持つ。


パートナーの周りだけ無限の時間が流れているようだった。



生活を共にするまでは、仕事を終えると二人で缶ビールを片手に、

ずっと話しながらずっと笑いながら、一駅も二駅も歩きまわり、

話し足りなくて、お店に入って食事をしながらまた話した。

次の日には職場でまた会えるのに、

駅に着いてもなかなか離れがたく、

明日ね、と手を振るのは結局終電車が来てからだ。

まるで十代のカップルのようだね、と笑いあった。

二人の世界の中では、わたしは特発性過眠症の悩みを忘れることが出来た。


” 理解をすることは難しいかもしれないけれど、

見ていて大変なことはよく解るし、頑張って戦っていることもよく解る。

だから自分は全面協力をすることを惜しまない。
でも甘えているのが見える人には、厳しくするよ。

せっかく二人でいるのだから、不足する部分は片方が補えばいい ”


そう言ってくれた。
そうしてそれは、パートナーが息を引き取るまで続いたのだ。

わたしはと言うと、いつの間にか、全身でパートナーに依存をしていた。

 


主治医は、二年前くらいから発症していたはずだと言った。
生活を共にするようになった頃だ。

わたしは全く気づかなかった。


勿論様々な変異も認めていたが、これ程にまで重篤な変異だとは考えもしなかった。


パートナーは自身の辛く思っていることをあまり多く語らなかった。

 


わたしは自分のことばかりでいっぱいになって、大切なパートナーを守れなかった。



このことはおそらく死ぬまで悔やみ、悔やみ抜いても報われることはないだろう。
失ったものの大きさに、今も対応ができない。


パートナーはわたし自身であった。


失った部分は、再生することもなく、別のもので補われることもない。


そう、欠損したままわたしはこのまま一人死を迎える。

抱え切れない不安を抱えて。
でも別にそれが哀れなどとは思わない。

死ぬ時は皆一人だ。

今は思う。

生きていくことの方が困難だ。


生きている人間には生きた感情があり、その感情は変動する。
感情をコントロールすることは難しい。
だから、生きているもの同士はうまくいかなくなることが多々ある。
努力が足りないとかではない。

生きた感情を持つ限り仕方のないことだ。

それが生なのだから。


わたしとパートナーの関係は、これからも変わらない。
ずっと。

わたしがどんな感情を持とうとも、対立することはない。

手を伸ばせば、いつもそこにあった大きくて力強くて、

暖かい体温を持ったパートナーの手は、もうどこにもない。
こんなにもあっさりと肉体は消え去ってしまうものなのかと思う。


もしかしたらこれは夢なのではないか。
パートナーがいたことも夢。

共に過ごした時間も夢。

こぶーちゃんもちこも。


そしてわたしがここに存在していることも夢なのかもしれない。


だとしても醒めるまでは戦わなくてはならないだろう。
今までそうしてきたように。


夢から覚めたら、わたしは存在などしていなかった。

 

きっと、やっと休めるんだろうね。

 

 

 

ストラテラカプセルが処方された|特発性過眠症と猫と

 

この1年で2人は前よりももっともっと仲良しになった。

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今年ももう残りわずかとなった。
あっという間だったが、満身創痍であった。
我ながら、よく頑張ったものだとちょっと感心している。


11月、12月とで再び、ADHD治療薬の

ストラテラカプセルが処方された。

朝、目覚ましの音が聞こえず、目覚めることができない日が度々ある。
と言ったからだ。

ストラテラカプセルは夕方に服用するのだが、
翌日の目覚めが良くなるケースもあるらしい。

以前にも処方されたことがあったが、薬価が高いのに効果を感じられなく、
1ヶ月で中止になった。
またかあ・・と思ったが、もしかして今回は少しは効くかも・・?
とDr.のいうことを聞くことにした。

11月は10mgの処方。

効果は感じられず、残念に思いながら、12月の診察日にDr.にその旨を告げると
今回は中止ではなく25mgへ、ミリ数を上げての処方となった。

ストラテラカプセル25mgは、劇的にとはいかないけれど、
もしかして効いているのかも?
と感じる日が度々あるのだが、でも油断は禁物、
やっぱり起きられない日もある。

この分だとおそらく1月の診察日には、ミリ数が上がるか、
服用量が増えるかのどちらかだろう。

1ヶ月で薬代が1万円を超えるなど、いや、深く考えるのはやめよう。
考えても仕方のないことだ。

他に方法はないのだから。

 



先月はパートナーの一周忌だった。

もう1年。

やっと1年。

何のために、こんなにボロボロになって働くのか。
こぶーちゃんとちことを守るため。
3人の暮らしを続けるため。

本当にもうそれだけだ。

私を動かす原動力はこの2人のみで、

この小さな身体の体温がだけが私を温めてくれる。

 

楽しいとか嬉しいとか、感じることはあるけれど

その明かりは儚いもので、あっという間に消えて

虚無感に包まれる。

 

 



パートナーは、もう帰ってこないんだろうな と思い始めている。
ずっと、帰ってくるような気がしていたから。

これが1年という月日なのかな。

診察日・昼のリタリンとベタナミン服用について|特発性過眠症と猫と

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10月8日土曜日は診察の日だった。

私は雨女なので、この日もやはり雨。

 

寝坊はしたものの、何とか10時半の予約時間には間に合った。

土曜は相変わらずの混み具合だ。

予約時間など目安にもならない。

12時に診察室に入り、5分ほどで診察は終わり

薬局でも薬をもらうために1時間待つ。

仕方のないことではあるけれど、診察日は

1日仕事になる。

折角の3連休なのにな・・・

 

近頃は台風の影響で雨の日が多く、

仕事に遅刻はしていないが寝坊ばかりしていた。

午前中は頭痛もするし頭もぼんやりしている。

どうしても覚醒しない日は、職場についてから

ベタナミンを1錠追加で服用することはあるのだが

なるべくなら飲みたくはない。

ずいぶん前から、昼のリタリンベタナミンも余程のことがない限り、

服用しないようにしているのだ。

中枢神経刺激薬は私の場合、不安や抑鬱につながるからだ。

 

ある日、昼に耐えがたい眠気に襲われ、

仕方なく昼に処方通りリタリンベタナミンを1錠づつ服用した。

そのおかげで午後は滞りなく仕事が出来たのだが、

仕事が終わり家に着いて驚いた。

いつもは家に着くなりくたびれて、しばらく座って休憩をし

動きたくないけれど就寝時間は迫ってくるしで、

やっとの思いでシャワーを浴びたり、夕食をとったりしていた。

それがこの日は、帰宅後、座ることなくてきぱきとやるべきことを

片付けられたのだ。

今日はどうしたんだろう・・・?

しばらく考えて、昼のリタリンベタナミンの効果なのではないかと

思い当たった。

これが正解だとしたら、昼に薬を飲むのも悪いことじゃないのかも。

兎に角元気なのだ。

 

でも夜は浅い眠りしかとれなかった。

 

これらは昼の服用のせいなのか・・?

 

検証してみることにした。

 

次の日もその次の日も、眠くなくても昼にリタリンベタナミン

1錠ずつ服用した。

 

結果はやはり同じ。

帰宅後元気だが夜の眠りの質は悪い。

帰宅後元気は大歓迎だが、これを続けていたら体がもたないだろう。

食べたくなくても食べて、そして眠らなければ破滅する。

 

・・・昼に飲んで夜眠れないなら、もう少し時間を早めたら・・?

 

次の日は朝の服用にプラスしてみることにした。

朝はリタリン1錠ベタナミン2錠とその他もろもろ。

そこに昼の分のリタリン1錠ベタナミン1錠を合わせて服用。

 

わたしはある時から枕元に、次の日の朝服用のシートから出した薬と

真冬でも氷水を水筒に入れたものと、めざまし時計3つとiPhoneを置いて寝ている。

めざましが聞こえたら寝床の中で朝の薬を服用し、覚醒を待つ。

めざましが聞こえなかったら薬は服用できず起きることはできない。

 

寝床から這い出し薬を飲むのは至難の技なので

わたしにはこの方法がベストだと思っている。

 

 

いつもは朝の処方分だけだと寝床から出ることはできるけれど、

眠気は残っており頭はぼんやりしている。

眠いまま通勤する毎日だ。

 

しかし・・・この日の朝はすごかった。

服用後20分もしたらスッキリと覚醒したのだ。

通勤中も眠気は感じなく、午前中の仕事も

頭は素早く回転し、スピーディーにこなすことが出来た。

素晴らしい。

 

さて、帰ってからはどうかな?

と少し楽しみに帰途につく。

 

 

程よく動くことができる。よしよし。

22時半、就寝時間になれば眠気も感じなくもない。

うん、眠れそうだ。

 

薬は出来るだけ飲みたくはないが、この飲み方、今の自分には

合っているのかもしれない。

 

Dr.に報告はしたが、

” 自分に合わせてやってみてください ”

と言われた。

 

やってみるか。とは思うが不安感と抑鬱が怖くて、

続けていくか迷っている。

でも仕事から帰って、動きたくない、面倒だ、とか

思わずにやらねばならないことをこなせるのは

物凄く魅力的だ。

たとえ薬に動かされているのだとしても。