特発性過眠症と猫と

特発性過眠症と診断された筆者の病気の経緯と、一緒に暮らしている2匹の猫との暮らしの日記。終わりたいけれど、生きなくては、とも思う心の不安定な様を不定期更新しています。

生と死、意味なんて知らなくていい|特発性過眠症と猫と

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生と死は実はとても近い距離にあるものだと思う。

元気に暮らしている時は、いかにも自分には
死は遠いところにあるように思うが
それは錯覚に過ぎない。

明日の命の保証をされている人間などこの世にはいない。

この頃は朝目が開くと、
今日も目が覚めたんだな、
今日も生きるんだな、と思う。


いつもと変わらぬ1日を過ごし、
帰る家があることに、
元気にわたしを待ってくれている
家族がいることに感謝をする。

平日は仕事が絶対的な存在で仕事のみだ。

でもそれでいいと今は思う。

仕事に集中している時間は
他のことは何も考えないからだ。

職場の人たちは、片道2時間近くかかる私の通勤時間に
疑問を持っている。
ただでさえ拘束時間の長い仕事なのだから
もっと近くに越して来ればいいのに、と。

特発性過眠症の病のことを考えれば、
もっと職場に近い方がいいなと思うこともある。

でもわたしは、パートナーとの思い出が
沢山あるこの土地を離れる気持ちはない。


しかし、通勤も仕事も大変で、満身創痍、
パートナーが逝ってしまったあの日から
わたしは全力で走り続けている。

よく身も心も持つものだな、と自身で思う。

あっという間に時間は経っていくが
わたしの気持ちはあの日で時が止まっている。


人と会っている時は気も紛れるが1人になれば、
こぶーちゃんとちこをかまっている時以外特に楽しいことなどないし、
何も感じない。

食事は倒れたら仕事も出来なくなると思うから食べるが、
美味しいとも思わないし、食べたいものなども特にない。
休みの日はお酒ばかり飲み、酔わず、食事は1回するかしないかだ。

行きたい所もないので出かけない。

お酒がなくなりそうになった時だけ近所に買い物に行くくらいだ。

友人にも会いたいとも思わないので連絡も取らない。

やっている事は仕事と仕事ができる環境を保つ事、
猫と一緒の時間を過ごす事。
それだけの日々。
だけど今はそれが精一杯で、そしてそれで十分だ。

特発性過眠症という病を持っているが、
病といっても死につながる病ではない。
それ故か、今日1日を大切に生きる努力はしていない。

今日という日は今日一度しかない。
明日になれば明日は今日になるけれど
昨日となってしまった今日とは似ていても違う日だ。

心のない機械の様に生きている私は1日を無駄にしているのだろう。

時はきちんと正しいスピードで進んでいる。
わたしの時は止まっていても、
当たり前だが実際の時は確実に正しく経っている。

口では前に向かって歩こうとか、
頑張ろうとか言っているけれど、
心はついて行くことが出来ていない。

今でもパートナーの帰りを待っていて、
引越しの時にどうしても部屋に入らないものはリサイクルに回したりもしたが、
ほぼパートナーのものは置いてある。
靴下だって服だって机だってPCだってすぐに使える状態だ。
今日帰ってきても全然大丈夫。

でも帰ってこない事は心のどこかでわかっている。

昨日は頭の中で思い出がぐるぐる回り、
帰りのバスの中で涙を流していた。

降りるバス停を通り過ぎていた。

降りたことのないバス停で降りると、
セブンイレブンがあったので、
よく2人で歩きながら飲んだお酒を2本買った。
家まではいつもより少し多く歩くだろうから500mlでちょうど良いだろう。

1本は家に帰ったらすぐパートナーにあげよう。
わたしは少し先にと、店を出てプルタプを開け、
ゆっくりと歩きながら思い出をたどる。

すれ違う人は他人のことなど見ていないので、
お酒を片手に涙を流しているおばちゃんには気付かない。
気付いて変な目で見られようと構わない。

暗い道で迷ったりもしながら、
飲み終わる頃になんとか家にたどり着く。
玄関を開けるとこぶーちゃんとちこが待っていた。

こぶーちゃんとちこと接している時だけ色彩を感じる。

こぶーちゃんとちこはわたしがこのまま生き続けたら、
わたしより先に往くはずだ。
猫の寿命は15〜20年といわれている。
寿命を全うすればあと、9〜14年生きることになる。

この小さき宝物の2人には何でもしてあげたい。

この子達は死など考えてはいないだろう。
生きることだけを考えている。
その生命力がわたしに力を与える。
そしてその生命が尽きた時、わたしの役目は終わり、
その先は。
わからない。

何かを見つけているのかもしれないし、
今とさして変わらないのかもしれない。

今はただ流れてゆくだけだ。


愛している、という言葉を今までの恋愛で感じたことはなかった。
愛しているという意味がわからなかった。
でもパートナーと出会い、愛しているという言葉、気持ちを初めて理解した。

この世に永遠に続くものなどないと思っているが、
パートナーとこぶーちゃんとちこに対する愛は生涯変わることはないただ1つの事だ。

新たなパートナーができる可能性もあるかもしれないが、
この愛は持ち続けるだろう。
別の次元の存在だから。

今まで生きてきて、自分を不幸だと思ったことはない。
今は少し疲れただけ。
本当に色んな事を体験してきたが、其れなりになんでも受け止めてきた。
単なる経験にすぎない。

パートナーには色んな事を教えてもらった。
色んな素敵な思い出をくれた。
楽しい時間を、共に過ごしてくれた。
感謝しかない。
出会えて本当に良かったと思っている。
生に執着のないわたしが、この人となら一緒に歳をとっていきたいと思った。
わたしが終わる時、そばにいて欲しいと思った。

でもパートナーはいない。



夜にも鳴いていた蝉の声が
リーリーという虫の声に変わっていた。

暑くて憂鬱な夏は案外短い事を知った。
時はあっという暇もないほど早く通り過ぎて行く。

生きていればなにか、何かが起こる可能性がある。
良いことも悪いことも。
終わるなら仕方ないと受け止め、
生きていれば1日を受け止める。
それだけだ。


診察の日であった。
2度寝し、気付くと予約時間1時間前。
諦めかけたのだが、何しろ主役ベタナミンリタリン
ベタナミンがないのだ。
ダメ元で兎に角病院に向かった。

結果は12時10分前に受付が出来た。
・・診てもらえる!
1時間待ち、診察室へ。

力尽き、しょっ中床で倒れていること、
朝がどうにもダメなことを話す。

”眠りの質が悪いのかしらね ”
Dr.が言う。

寝坊が怖くてこの頃眠剤は飲んでいない。
だからかも。と思うが言葉には出さなかった。
わたしは夢を多く見る。
夢の内容は、大抵知らない人が血みどろになる様な夢。

先日も知らない女の人の両手首が鋭い刃物によって
切断された。

こんなだから、眠剤を処方されているのだ。
眠剤を飲むと夢は覚えていない。
パートナーと夢で会えても忘れてしまうわけだ。

”先生、ガバペンを試してみたいのですが ”
”どうしてまた。・・いいですよ。でも、うーん ”
”単独では出せないから、あ、でもリボトリール出てるからいいか ”
てんかんとか、レストレスとか病名つけないと・・”

Dr.は独り言の様に言いながらキーボードを叩く。
レセプトではじかれてしまうのだろう。

しかし、結局、お試しどころか30日分処方してくれた。

ガバペンは、ある方からコメントで試してみては?と
アドバイスを頂いて、丁度診察の日だったので
処方をお願いしたのだ。

病院から帰宅すると出かけた疲れと睡魔で動けなくなった。

そうだ、ガバペン飲んでみよう。
デパスと一緒に服用し少し横になる。

しばらくすると何となくすっきりと目が覚めてきた様に
感じ、起き上がり、追加でリタリンを服用する。

気分はクリアーで、そして動ける。
もしかして効くのかも知れない。

寝る前に処方されているのだが
仕事が終わった頃に服用するのでもいいかもな、
とも思う。

でも朝起きるのが優先だから、ガバペンが
寝る前の方が良かったら
寝る前のエビリファイを仕事終わりにする、とか
色々試してみよう。

少し希望を見た診察の日。

bosatstan様、アドバイス、有難うございました。

有給休暇。ゆっくりする予定だったのに|特発性過眠症と猫と

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水曜日、1日だけ有給休暇が取れたので、 ゆっくりと映画でも観るつもりでいた。

しかし、先週の土曜日、

案の定目覚めたのが日曜日であった為、 診察日であったのに行くことが出来なかった。

いつも余るベタナミンが無くなり、非常事態だと感じた。

どうしようかなあ、今週は土曜日仕事だし・・・ と考えていたところ、主治医は水曜も診察をしていたのでは? と思い出し、調べてみたら今も変わらず水曜の医師表に名前があったので、 急遽出かけることになったのだ。

・・映画とかって・・。やっぱ無理だよね。

土曜より空いているかと思いきや、 意外に混んでいて、 自分は予約日ではないので覚悟はしていたが、 やはり1時間半は待った。

同じく薬局でも。

夕方になったが、まあ、しかたがない。 次の日からはまた仕事だから、 遅くまで起きている事はできないが、 家に帰って発泡酒を何本かあける時間はあるのだ。 良しとすることにした。

朝がちょっと大変な日が続いている。

目覚ましが聞こえない、 音に気づいても目が覚め切らず、 寝床の中でグズグズしてしまう。

やっと寝床から這い出してもまともに歩けず、 狭い部屋で猫の飲み水をひっくり返したり、 猫本体を踏みそうになったりする。

就寝時に身体に当たる扇風機の風がだるさの原因なのか、 最近は凍結しても、柔らかいひんやりジェル枕なるものを使って寝ているが、 それが頭と首筋を冷やし過ぎているのか、 梅雨明けした途端、雨や台風がやってきて、その気圧の関係なのか、

何か外的な要因もあるような気がする。

対策を取らねば、寝床でぐずる事がルーチンになってしまう事は避けたい。

ぱっと起きることも出来るんだよ、という事を身体が忘れてしまったら困る。

家を出る2時間前には起床したい。

それができていた日々もあったのだ。

私は寝起きがとても悪いために、家を出る1時間前に起きるのでは 仕度は何とか出来るが、慌ただしすぎる。

猫のこぶーちゃんとちこにもかまってあげられない。

そして、満員電車を乗り継ぎ、 そのまま気を抜けない仕事に突入だ。

今の仕事をしくじる訳にはいかない。

しくじったら成るように成るしか無いのだが、 なるべくならあの無職期間を再度味わうなどしたくはない。

よって、自分が特発性過眠症に罹患している事、 前職を過眠症が原因で解雇になっている事、 休みの土曜に月1で病院にかかっている事、 過眠症ブログをしている事、などなど。 特発性過眠症過眠症の事は今の職場の人間には極秘だ。

親しくなった様に感じても、打ち明けるつもりはない。

寝坊による遅刻が頻繁になったり、 前の様に仕事中に眠ってしまうとかない限りは、 自分の評価を下げる事は言う必要はないと思っている。

特発性過眠症の理解者などそうそういないからだ。

大変だよね、頑張って。 なんて言ってくれても自分に迷惑がかかってくれば、 態度は豹変し、眠いなんて気持ちの問題じゃないの?と。

そう思うのはごく普通のことかもしれないが、 わたしにしてみればうわべだけの理解者。

信用ならない。

傷つくだけなのだから、打ち明ける必要はない。

そんな目で見られれば、本当に交通機関の遅延で遅刻しても また寝坊なんでしょ?と見られかねない。

でも、生活を共にする人からしたら、 過眠症の症状、たまったものではない。と思う。

度重なれば人ってなんで自分ばかり負担を負うのか? と当然思うものだから。

パートナーは本当に理解者であった。

いや、理解者ではない。

わたしをわかってくれていた。

こう言うのが一番しっくりくる。

パートナーは20代でステージ4の癌を患い、 奇跡的に完治したと治療を終え、 15年後再発し、ここを去った。

最初の癌での入院中、死を近くに感じ、意識し、 これまでの考え方が変わったと言っていた。

穏やかで、上手く言えないが心の広い人間であった。

わたしの朝起きられない度重なる様に、 自分がこんなに大変な思いして起こしているのに、ちっとも起きない、 など思わないでいてくれた。 ずっと変わらず、入院する寸前までわたしを毎朝起こし続けてくれた。

でも、わたしが甘えで起きない時にはちゃんと見抜いていた。

パートナーの日記というのか雑記というのか、 片付けをしていて見つけたノートには、 自身のことわたしのことが綴られていてわかったのだ。

どうしても起きれられないわたしに、イラつきを感じることなく、 全力で協力してくれた。

こんなにわたしをわかってくれるには人はそうそう出会う事はできないだろう。

だからわたしは、他人には病気を打ち明けない。

いい人だと思っても理解者になってくれるとは限らない。

わかってくれるとは限らない。

迷惑を迷惑と捉えない人などいるだろうか?

特殊な環境下にいた人、 もしくは同じ病に苦しむ人しか理解できないであろう。

人をわかってあげることは大変なことだ。 自分が不安定な状態では到底無理なことだ。

口先だけで優しいことを言う人間も沢山いる。 心が弱っている時には、そんな言葉に騙されてしまう。

わたしは傷つくのは嫌だ。

だから、他人に弱いところは見せない。

助けてとも言わない。

いや、今に始まった事ではなく、 物心ついた頃から、人にSOSを出せない性格で、 結局決めて、それをするのは自分なんだから、と いつでも何でも1人で解決してきた。

弱さを見せたのは、唯一パートナーだけだ。

だからパートナーはわたしを全力で支えてくれたのだろう。

そのパートナーは、今はいない。

わたしはまた孤独に戦うだけだ。

こぶーちゃんとちこを看取るまでは 何としても生きるつもりだが、 その後は、任務終了で、 もうここにいなくてもいいのだ。

何でも打ち明けることの出来る仲間がいないわたしを、 可哀想だと思いますか?

わたしは他人に対して、何も求めるものはありません。

人は人、自分は自分。

そう考える方が、閉ざして生きること方がずっと楽だ。

楽しいという感情は刹那的なもの。

その代わり喪失感や悲しみは四六時中身体を支配するのだ。

これ以上傷つくのはごめんだ。

ガン検診で引っかかった肺の再検に行った|特発性過眠症と猫と

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今年の1月のがん検診で、左肺に2箇所、

” 肉芽種疑い有り ”という通知が届いた。

半年以内に再検する様に、とあった。

 

この先に命に関わってくる事だとしても、

それならそれでいいや、むしろその方が。

という気持ちがあった。

 

パートナーを失ってから、生きるということに

意味があるとは思えないでいるからだ。

でも、周囲が心配してしまっていること、

こぶーちゃんとちこを残して先に逝くわけにいかないこと、

などの理由から、再検に行ってきた。

 

結果は、

1月の画像より大きくなっているわけではないし、

恐らく、肺炎などの際の炎症の傷でしょう。

と言われた。

肺炎になったことなどないのだが、

まあ、心配いらないとのことなので、

少し生き延びた気持ちを感じながら、病院を後にし、

仕事へ向かった。

 

そうね、こぶーちゃんとちこを最後までみる事が

私の残された使命だから、健康で頑張らなきゃね。

先に逝くなんて考えてごめんね。と反省した。

 

過眠症の方はとても辛い月だった。

何しろ眠い。

本当はやりたくない就寝前のベタナミン作戦も

何度もした。

 

朝は遅刻か?と危うい日もあり、設定時間に起きる事が

できないのは毎日。

2度寝もしてしまうし、

(ただ、自分の中では2度寝は甘えだとの認識)

午後もベタナミンリタリンを服用しても

眠い。

行きも帰りも電車で朦朧。

土曜に仕事から帰って、シャワーを浴びて、

早寝して、目が覚めたら月曜日だった時は

流石にこの病気、特発性過眠症を恨んだ。

 

 

今週は嬉しい3連休。

やらなければならない事が溜まっているので

次の日休日なのに、ベタナミンを飲んで眠り

朝なんとか起きた。

家事をしていたはずなのに、ふと気付くと

床に倒れている。

眠っていた様だ。

知らないうちに眠っているのは

本当に怖い事だと思う。

理解者もそうそういないしね。

 

順調に行っていたかと思うと

ずるずると底に引きずり下ろされる。

 

有効な治療方法はない。

 

 

眠さと戦っている最中、仕事の人から

飲みに誘われ、大久保に行った。

もちろん韓国料理のお店で、

サムギョプサルを食べた。

とってもぶ厚いお肉で、包む葉っぱも

たくさんの種類があって、食べ放題。

女子3人だったので、お肉だけでお腹いっぱい。

美味しかったが、中盤からお肉の脂が

きつくなってきて、家に着いてからも

口の中が脂の匂いでいっぱいで、ちょっと辛かった。

そういえば私は、お肉はあまり得意ではなかったのだった。

 

帰りがけ、韓国好きの2人は、市場によるというので付いて行った。

韓国のスーパーという感じ。

勧められてマッコリをカゴに入れた。

あとは買うものもないし、、と思いながらウロウロしていると

かっぱえびせんの様なものを見つけた。

しかも半額になっていて、味は違うのかな?

とカゴに入れた。

 

買ったものはそれだけ。

 

そして、かっぱえびせんはまだ開封されずに我が家にある。

 

 

眠い。

梅雨というのもあるのだろう。

気圧低下の頭痛も頻繁にある。

 

でも、あまり考えない様にしよう。

なる様にしかならないのだから。

 

来週の休みには、直売所に

トウモロコシを買いに行きたい。

1人ではどうなのだろう。

パートナーと一緒に美味しいね!

と言った、あの時と同じ味がするのだろうか。

 

 

休みの日なのに病院ではないところに行って来ましたよ|特発性過眠症と猫と

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27日、土曜日は東京ドームにプロ野球を観に行った。

 

プロ野球には全く興味はないのだが、

仕事場の人にチケットをもらってしまうのだ。

 

一緒に働いている人は、東京生まれで巨人ファンなので

それは大変大喜びでわたしを誘う。

 

この日で巨人戦を観に行くのは4回目になる。

 

高校野球観戦だったら喜んで出かけるのだが、、、

 

巨人の選手は1人も名前も知らない。

(4回目にしてやっとサカモトさんとシンノスケさんの名前は記憶した。

顔は残念ながらわからない)

 

仕事場の人には、

” 他の方を誘っていいんですよ?私でなくても・・”

というのだが

” ううん、いいの。行くでしょ?”

 

まあいいか。お付き合いだしね、

と言い聞かせて出かけた。

 

席に着くや否や、可愛いお姉ちゃんから高いビールを買う。

殆ど飲みに行っているようなものだ。

出かける前に家でもいい加減飲んでいるというのに・・

 

私はスポーツ全般に興味がない。

しかし野球だけは、ルールは知っているし、

しかもとてもいい席だったりするし、

全くつまらないというわけでもなく

流石プロだなあと感心する場面もあったり。

この日の試合は酷いものだったけれど。

 

 

たまには杏林以外に外出も必要なのだろうから、

時間もったいなかったなとか、

深く考えないようにしている。

人と一緒に飲むお酒はまた美味しいから。

 

今週は朝はきちんと起きることができたが、

午前中が眠くて眠くて仕方のない週だった。

また来月、診察に行けなかったら

薬も節約しておかないとな、とも思い、

朝にベタの追加はせずドリンク剤を飲んだりして何とか耐えた。

 

通勤中は激混みの中央線でも立ったままうとうとしてしまう。

駅につく度に、降りる人乗る人にどつかれまくって、

一瞬目が冷めるのだが、

今ここが何処なのか、何故ここにいるのか、家なのかわからない。

夜は眠剤も不要で、猫のちことじゃらしで5分ほど遊んで、

すぐに眠りに落ちる。

寝付くのに1分もかかっていないのではと思う。

 

でも、なんとなく過眠症の眠さとは違うような気がした。

普通の人の睡眠不足の眠さのような感じで、

寝坊してしまうのでは?仕事中眠ってしまうのでは?

といった不安は少なかった。

 

回復?

いや、やっぱり薬のおかげなのかな。

 

 

 

猫達は季節柄抜け毛が激しい。

服も部屋もすぐに毛だらけとなる。

 

家族にこの様な毛深い者がいない人達は

顔をしかめるだろう。

 

掃除とスキンシップも兼ねて、

朝晩こぶーちゃんとちこにブラシをかける。

面白い様に毛が取れる。

そして2人とも気持ちよさそうに目を閉じて喉を鳴らす。

そんな時間にわたしも癒される。

 

だから朝晩の猫たちとの時間は出来る限り優先している。

 

仕事に行けば、昼休憩の1時間しか緊張から逃れられないので

1日の約半分は気持ちがざわざわしていて、精神的に疲労する。

 

朝晩猫たちに安らぎをもらい、

日中は猫たちのために労働を賃金に変える。

家族を守る大黒柱のお父さんの様な感じ?なのかな。

 

ちこが25日で6歳になった。

(元野良ちゃんなので推定誕生日だが。)

ちこのほうが1か月年上で

 こぶーちゃんは6月27日で6歳。

こぶーちゃんの方が年下だが、ちこの面倒をよく見ていて

まるでお姉ちゃんみたいだ。

 

こぶーちゃんとちこは従姉妹。

 

こぶーちゃんはわたしと暮らしていたが、

ちこはパートナーの猫だった。

心無い人による虐待でちこはパートナーに保護され、

そしてわたしと暮らすようになった。

ちこは虐待により今もびっこだが本人は気にする様子もなく、

毎日じゃらしを咥えて、わたしの元に『遊ぶ?』とやってくる。

 

わたしはお母さんであり、お父さんであり。

毎日こんななのだが、今はそれでいいかな。

 

だって、一人じゃないと言っても、

実際一人だし、

まだ一人で何か違うことをするエネルギーも蓄えられていないし、

いつも支えてくれていた人がいないから、いろんな事が

何しろ怖いのだもの。

 

 

 

やれば出来る。やっと診察へ|特発性過眠症と猫と

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明日土曜は、仕事が休みだ。

何が何でも薬をもらいに行かなくては。

 

でも起きられる自信がない。

眠らずに土曜の朝を迎えるのが最善策なのかも知れない。

ベタナミンリタリンを服用すれば、一晩くらい起きていられる。

 

でも1週間働いた体は疲労MAXと言っているし、

徹夜をすると次の日、動悸が激しくなる。辛いのだ。

 

なので眠ることにした。

ストラテラベタナミンは節約したから数錠だが余っている。

これらを服用して23時に寝床へ入った。

 

もちろん眠剤は無しだ。

 

” 明日は仕事だから起きなくてはならない。”

 

仕事ではなく診察なのだが、

緊張感を持たせるため、自分を騙すつもりで

30回頭の中で唱えた。

 

目が覚めたのは、土曜日の明け方2時半だった。

 

やった。行ける。

慌てて枕元にセット済みの薬を水筒の氷水で流し込む。

そして、2度寝をしてしまう前に寝床から出た。

 

いかんせん早起きすぎるのだけれど、そして外は雨が降っているのだけれど

普通に生活を送るためには、杏林に行かなくてはならない。

 

温かい紅茶を入れて、ぼんやりしたり本を読んだり

猫にちょっかいを出したり、のんびり朝食を作ったりしていたら、

あっという間に出かける時間となった。

 

” お母さんはちょっと病院まで出かけてくるよ。

いい子で待っててね。ちゃんと帰ってくるから ”

 

猫のこぶーちゃんとちこにそう言って頭にキスをして

部屋を出る。

あとはひたすら待てば薬がもらえる。

 

 

4月15日が予約の日だったのだが、起きる事が出来ず、

翌週22日も起きる事が出来ず、その翌週29日は旗日で、

翌月5月6日は仕事であった。

予約日から1ヶ月も診察に行けずにいた。

薬は節約をして、リタリンだけはだいぶ残っていたが、

あとはストラテラカプセル、ベタナミンが数錠のみで

他7種類あまりの薬はとうに無くなっていた。

当たり前だが。

 

薬がなくて不安の日々は、それでも何とか寝坊はせずに済んだのだが、

日々の疲労・脱力感は結構ひどく、ヘパリーゼなんかを飲んで

何とか通常を保った感じだ。

このヘパリーゼ、暗示かも知れないが、

眠気には効果はないけれど、少し疲れが取れるような気がしている。

常備してもいいかも知れないな、などと思う。

 

 

 

Dr.に平日は2時半とかに目が醒める事が多い事、

休みの日になると目覚まし音は全く聞こえずに

30時間は平気で眠ってしまう事を話した。

 

” 気持ちが緩んでしまうんですかね。

とても嫌なのですが、どうしようもなくて・・”

 

と言うとDr.は

 

” この手の薬をこれだけ飲んでいれば

週末は睡眠不足でそうなるのは当然です ”

 

と言った。

 

・・そうなのか。

甘えじゃなかったんだ。

 

何だかとてもホッとしてしまった。

 

でも6月10日にはまた診察だ。

起きられないのは当然、とは言われても、

起きなくてはならない休日もあるのだ。

ストラテラカプセルとベタナミンを飲んで眠っても

起きる事が出来ない時もある。

ホッとしている場合ではないのかも。

 

これさえあれば大丈夫!という何かを見つけたいと切に思う。

 

・・・まあ、そんなものは存在しないだろうけれど。

 

眠りにつくためのものは色々あるのに、

(我が家にも2匹の強力な眠剤がいるけれど)

眠りから覚めるためのものはあまりないと思う。

 

ドリンク剤も、朝の太陽光だって過眠症には効果はないのだから。

 

耐性の出来ない覚せい剤を、作って欲しい。

 

薬は勿論完全ではないけれど、今一番頼っているのは

薬だということ、自分の力で生きている感じがしなくて

厭なのだけれど、でもこれは紛れもない事実で、

いい加減認めないといけないなあと思っている。

だけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また撃沈。病院に行きたい!|特発性過眠症と猫と

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4月15日の土曜日は、杏林の予約日だったのだが、 またしても撃沈。

目覚めたのは日曜の夕方だった。 勿論キャンセルの連絡など入れていない。

自分にほとほと呆れながら、来週の土曜日こそ 絶対に行かなくては、と思う。

22日の金曜夜、明日は起きるぞ、とベタナミンを飲んで眠った。

目覚めたのは、土曜の夜。

日曜日でなかったのは嬉しいことだが、 またしても病院に行けなかった。

布団の上で膝を抱えて座り、しばし打ちひしがれる。

どうしてなんだろう。

先週はダメな週で、3回寝坊をして、うち1回遅刻。

でも今週は優秀で、1度も寝坊しなかったのに。

ここのところ、次の日が休みとなると、 甘えが出るのか、安心してしまうのか、 起きる事が出来ない。

今は3個の目覚まし時計と、ラジオ。

それと3:45分から15分おきに鳴るように セットしたiPhoneの5個の目覚ましで起きている。

休みの日もリズムを崩さないように 同じ時間に鳴るようにしている。

どうしても日中眠いようなら、 床で浅い眠りの昼寝をすれば良いと思うから。

しかし、そのどれもが聞こえないのだ。

聞こえていて2度寝をするなら対策もあるが、 聞こえないのは、なす術がない。

薬たちを入れている引き出しは スカスカになっている。

来週の土曜日は、仕事が休みだ。 でも旗日。

杏林も休みだろう。

その次の土曜は出勤日だ。

さて。 どうすべきか。

この先3週間はだいぶ無理をしないといけないようだが 果たしてその無理でしのげるのだろうか。

・・・と、人ごとのように言っているが 本当はとても心配。

ここしばらく服用している昼のリタリンベタナミン。 薬の節約のために控えようか。

昼に服用すると、帰宅した時に楽な事を発見した時から 続けていたが、近頃、前ほど効果を感じない。

朝も抜かないと本当のリセットにはならないが、 プチリセット、になるかもしれない。

まあ、前向きに、何とかやってみるしかないな。

そういえば、4月は過眠症の診察と、 他に呼吸器内科の診察を 受ける予定でいた。

年末のがん検診で、左肺に2箇所 ”肉芽種疑い、半年後再検 ” という結果が届いたからだ。

おそらく何ともないだろうが、念のため。

別に死んでも構わないが、こぶーちゃんとちこが 生きているうちは生きていないとならない。

健診でも色んなところが引っかかり、 歳をとるってこういう事なのね、と思う。

13日はパートナーの誕生日だったので お参りに行った。

誕生日といっても、パートナーは もう歳をとることはない。

私ばかり2つもババアになってしまった。

パートナーが笑っている気がする。

色んな事が残念でならない。

ミッションコンプリート 診察日|特発性過眠症と猫と

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調子よくすっきりと目覚めることが出来ていた日が続いたのだが、

次の週、訪れたのは目覚ましの聞こえない週だった。

かろうじて仕事に遅れるほどの寝坊はなかったが、

明日は起きれるのかと夜、眠るのが怖かった。

 

昨日は診察日であった。

薬もないし、絶対に行かなければならない。

なので、夜に眠剤は飲まずに代わりにベタナミンを飲んで寝た。

何とか目覚ましは聞こえたが、眠くて動くことが出来ない。

そんな中、こぶーちゃんとちこがゴロゴロと言いながら

代わる代わる布団の中に入ってくる。

幸せな地獄。

 

2時間の葛藤の末、何とか杏林へ向かった。

予約時間30分の遅刻。

予約時間に行っても、大概待つことになるし、

それに耐えられなくて、誰にも告げずに帰ってしまう人もいる。

他人事ながら、薬、あるのだろうか、などとぼんやり思う。

 

診察は5分で終わる。特に薬の変更はない。

 

薬局でも、小一時間待つ。

処方されているリタリンは、シートの薬ではなく

瓶詰めなので、一々分包してもらわなくてはならない。

時間がかかるので、ある時から朝の分、昼の分、と

まとめて容器に入れてもらうようお願いをしている。

それなら錠数を数えて、ざざっと容器に入れるだけだ。

しかし、この所、

リタリンを容器に詰めたりするので、

一時間位かかりますが、宜しいですか? ”

と言われる。

え?ざざっと入れるだけなのに?

と思うが、まあ薬の種類も多いし、仕方ない。

変な言い訳しなければいいのに。とは思う。

 

 

最近処方されたストラテラは効いているような気がする。

ダメな時はベタナミンリタリンを服用しても、何をしてもダメなのだけれど。

でも、何となくだが、起きやすくなった気がしている。

暗示なのかもしれないが、暗示というのも大切な要素。

ストラテラを服用し、目覚ましをセットし、

枕を4回叩いて、明日4時に起きる!

と唱えて眠りにつく。

 

 

この頃の土日が休みの週末は、金曜の夜に寝て、撃沈。

日曜の昼過ぎに目覚め、たくさん眠ってもすっきりせず、

何の意欲もなく、起きてもなあ・・・と思う。

そのまま寝続けられることができるのだが、

次の日は仕事なので、仕方なく起き上がる。

身体中がだるく、このまま寝たら次の日歩くことさえままならなくなるから。

飲まず食わずだったのに、お腹が空いているのかもわからない。

とりあえず発泡酒を開けて、考える。

そして、やりたいことはたくさんあったのに、時間を無駄にしたことを責め立てる。

いつもそうだ。

片付けられないものがどんどん溜まっていき、

部屋が汚いことにストレスを感じる。悪循環。

丸一日寝たからとてスッキリすることはなく、

頭も痛いし、背中も痛い。

何か食べようと思っても、食べたいものも思い浮かばずどうして良いのかわからない。

あればヨーグルトやなんかのやわらかいものを口にしてみるが、

それでもお腹が空いているのかわからない。

食べると気持ちが悪くなったりすらする。

そして、どうして起きられないのか、考えてもどうしようもないことをずっと考える。

 

罹患して間もない頃、起きることが出来ないので、

睡眠を浅くしようと1年以上、布団ではなく、床で眠っていたなあ・・

などと思い返す。

起きられないなら眠らなければ良い、と、1週間眠らずに過ごせるわけがないのに

ベタナミンリタリンを飲んで徹夜をし続けたこともあったなあ。

それで、吉祥寺に住んでいた頃、明け方に近所の組長宅への

銃声を聞いたんだっけなあ。

 

発泡酒の空き缶ばかり増え、何もしない週末が終わる。

 

うまく付き合おうとしているのに、突っぱねられる。

いつになったらわかりあえる様になるのだろうか。