特発性過眠症と猫と

特発性過眠症と診断された筆者の病気の経緯と、一緒に暮らしている2匹の猫との暮らしの日記。終わりたいけれど、生きなくては、とも思う心の不安定な様を不定期更新しています。

生と死、意味なんて知らなくていい|特発性過眠症と猫と

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生と死は実はとても近い距離にあるものだと思う。

元気に暮らしている時は、いかにも自分には
死は遠いところにあるように思うが
それは錯覚に過ぎない。

明日の命の保証をされている人間などこの世にはいない。

この頃は朝目が開くと、
今日も目が覚めたんだな、
今日も生きるんだな、と思う。


いつもと変わらぬ1日を過ごし、
帰る家があることに、
元気にわたしを待ってくれている
家族がいることに感謝をする。

平日は仕事が絶対的な存在で仕事のみだ。

でもそれでいいと今は思う。

仕事に集中している時間は
他のことは何も考えないからだ。

職場の人たちは、片道2時間近くかかる私の通勤時間に
疑問を持っている。
ただでさえ拘束時間の長い仕事なのだから
もっと近くに越して来ればいいのに、と。

特発性過眠症の病のことを考えれば、
もっと職場に近い方がいいなと思うこともある。

でもわたしは、パートナーとの思い出が
沢山あるこの土地を離れる気持ちはない。


しかし、通勤も仕事も大変で、満身創痍、
パートナーが逝ってしまったあの日から
わたしは全力で走り続けている。

よく身も心も持つものだな、と自身で思う。

あっという間に時間は経っていくが
わたしの気持ちはあの日で時が止まっている。


人と会っている時は気も紛れるが1人になれば、
こぶーちゃんとちこをかまっている時以外特に楽しいことなどないし、
何も感じない。

食事は倒れたら仕事も出来なくなると思うから食べるが、
美味しいとも思わないし、食べたいものなども特にない。
休みの日はお酒ばかり飲み、酔わず、食事は1回するかしないかだ。

行きたい所もないので出かけない。

お酒がなくなりそうになった時だけ近所に買い物に行くくらいだ。

友人にも会いたいとも思わないので連絡も取らない。

やっている事は仕事と仕事ができる環境を保つ事、
猫と一緒の時間を過ごす事。
それだけの日々。
だけど今はそれが精一杯で、そしてそれで十分だ。

特発性過眠症という病を持っているが、
病といっても死につながる病ではない。
それ故か、今日1日を大切に生きる努力はしていない。

今日という日は今日一度しかない。
明日になれば明日は今日になるけれど
昨日となってしまった今日とは似ていても違う日だ。

心のない機械の様に生きている私は1日を無駄にしているのだろう。

時はきちんと正しいスピードで進んでいる。
わたしの時は止まっていても、
当たり前だが実際の時は確実に正しく経っている。

口では前に向かって歩こうとか、
頑張ろうとか言っているけれど、
心はついて行くことが出来ていない。

今でもパートナーの帰りを待っていて、
引越しの時にどうしても部屋に入らないものはリサイクルに回したりもしたが、
ほぼパートナーのものは置いてある。
靴下だって服だって机だってPCだってすぐに使える状態だ。
今日帰ってきても全然大丈夫。

でも帰ってこない事は心のどこかでわかっている。

昨日は頭の中で思い出がぐるぐる回り、
帰りのバスの中で涙を流していた。

降りるバス停を通り過ぎていた。

降りたことのないバス停で降りると、
セブンイレブンがあったので、
よく2人で歩きながら飲んだお酒を2本買った。
家まではいつもより少し多く歩くだろうから500mlでちょうど良いだろう。

1本は家に帰ったらすぐパートナーにあげよう。
わたしは少し先にと、店を出てプルタプを開け、
ゆっくりと歩きながら思い出をたどる。

すれ違う人は他人のことなど見ていないので、
お酒を片手に涙を流しているおばちゃんには気付かない。
気付いて変な目で見られようと構わない。

暗い道で迷ったりもしながら、
飲み終わる頃になんとか家にたどり着く。
玄関を開けるとこぶーちゃんとちこが待っていた。

こぶーちゃんとちこと接している時だけ色彩を感じる。

こぶーちゃんとちこはわたしがこのまま生き続けたら、
わたしより先に往くはずだ。
猫の寿命は15〜20年といわれている。
寿命を全うすればあと、9〜14年生きることになる。

この小さき宝物の2人には何でもしてあげたい。

この子達は死など考えてはいないだろう。
生きることだけを考えている。
その生命力がわたしに力を与える。
そしてその生命が尽きた時、わたしの役目は終わり、
その先は。
わからない。

何かを見つけているのかもしれないし、
今とさして変わらないのかもしれない。

今はただ流れてゆくだけだ。


愛している、という言葉を今までの恋愛で感じたことはなかった。
愛しているという意味がわからなかった。
でもパートナーと出会い、愛しているという言葉、気持ちを初めて理解した。

この世に永遠に続くものなどないと思っているが、
パートナーとこぶーちゃんとちこに対する愛は生涯変わることはないただ1つの事だ。

新たなパートナーができる可能性もあるかもしれないが、
この愛は持ち続けるだろう。
別の次元の存在だから。

今まで生きてきて、自分を不幸だと思ったことはない。
今は少し疲れただけ。
本当に色んな事を体験してきたが、其れなりになんでも受け止めてきた。
単なる経験にすぎない。

パートナーには色んな事を教えてもらった。
色んな素敵な思い出をくれた。
楽しい時間を、共に過ごしてくれた。
感謝しかない。
出会えて本当に良かったと思っている。
生に執着のないわたしが、この人となら一緒に歳をとっていきたいと思った。
わたしが終わる時、そばにいて欲しいと思った。

でもパートナーはいない。



夜にも鳴いていた蝉の声が
リーリーという虫の声に変わっていた。

暑くて憂鬱な夏は案外短い事を知った。
時はあっという暇もないほど早く通り過ぎて行く。

生きていればなにか、何かが起こる可能性がある。
良いことも悪いことも。
終わるなら仕方ないと受け止め、
生きていれば1日を受け止める。
それだけだ。


診察の日であった。
2度寝し、気付くと予約時間1時間前。
諦めかけたのだが、何しろ主役ベタナミンリタリン
ベタナミンがないのだ。
ダメ元で兎に角病院に向かった。

結果は12時10分前に受付が出来た。
・・診てもらえる!
1時間待ち、診察室へ。

力尽き、しょっ中床で倒れていること、
朝がどうにもダメなことを話す。

”眠りの質が悪いのかしらね ”
Dr.が言う。

寝坊が怖くてこの頃眠剤は飲んでいない。
だからかも。と思うが言葉には出さなかった。
わたしは夢を多く見る。
夢の内容は、大抵知らない人が血みどろになる様な夢。

先日も知らない女の人の両手首が鋭い刃物によって
切断された。

こんなだから、眠剤を処方されているのだ。
眠剤を飲むと夢は覚えていない。
パートナーと夢で会えても忘れてしまうわけだ。

”先生、ガバペンを試してみたいのですが ”
”どうしてまた。・・いいですよ。でも、うーん ”
”単独では出せないから、あ、でもリボトリール出てるからいいか ”
てんかんとか、レストレスとか病名つけないと・・”

Dr.は独り言の様に言いながらキーボードを叩く。
レセプトではじかれてしまうのだろう。

しかし、結局、お試しどころか30日分処方してくれた。

ガバペンは、ある方からコメントで試してみては?と
アドバイスを頂いて、丁度診察の日だったので
処方をお願いしたのだ。

病院から帰宅すると出かけた疲れと睡魔で動けなくなった。

そうだ、ガバペン飲んでみよう。
デパスと一緒に服用し少し横になる。

しばらくすると何となくすっきりと目が覚めてきた様に
感じ、起き上がり、追加でリタリンを服用する。

気分はクリアーで、そして動ける。
もしかして効くのかも知れない。

寝る前に処方されているのだが
仕事が終わった頃に服用するのでもいいかもな、
とも思う。

でも朝起きるのが優先だから、ガバペンが
寝る前の方が良かったら
寝る前のエビリファイを仕事終わりにする、とか
色々試してみよう。

少し希望を見た診察の日。

bosatstan様、アドバイス、有難うございました。