特発性過眠症と猫と

特発性過眠症と診断された筆者の病気の経緯と、一緒に暮らしている2匹の猫との暮らしの日記。終わりたいけれど、生きなくては、とも思う心の不安定な様を不定期更新しています。

診察日 兎に角杏林を目指して|特発性過眠症と猫と

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3月10日 9時半に家を出る。

帰宅は16時。

やっとのことで杏林に行けた日だ。

予約をすっぽかしたのだから仕方がない。

待つこと数時間。

待合室には、私の他には男性1人を残し、最後から2番目に呼ばれて診察室に入る。

土曜の診察は午前中のみ。

精神科の他のD r.は診察を終えていて、

土曜は混むよなあ、とか言いながら、

食堂で昼ご飯か、

医局でお茶を飲んでいるのかも知れない時間に、

私の主治医は1人まだ診察をしている。

診察室に入ると

" どうですか? "

Dr.の口癖のような挨拶に、

" 休みの日には起きれなく、起きれた日には仕事でしばらく薬が切れています "

と答える。

D r.は電カルを見ながら

" あら。ホントだ "

だからといって咎められることはまずない。

更に睡眠時間と、昼の様子を聞かれ、

睡眠はとるよう努力はしているが、昼間はうとうとすることが多い。

と有りの侭に答える。

薬を服用していないのだから、 眠くて当然で、

何も新たな試みをする必要もない。

D r.は

" じゃ、前回と同じでいいですね "

とキーボードを叩く。

前回の記事で、コンサータを試してみては?

とコメントを頂いていた。

自分としても気になっていた薬なのだが、

何しろ薬価が高く、踏み切れないでいたのだ。

今回、だいぶ長い間リタリンを服用できなかったことで、

何1つ思うように動けなかったことが酷くダメージとなっていた。

薬がないとダメなんだな、と痛感し、

リタリンを多用するようになってしまったことも気掛かりで

徐放錠であるコンサータを少しだけ試してみようという気持ちになっていた。

" コンサータを試してみたいのですが "

とダメ元で言ってみた。

D r.は苦笑いしながら

" やる? "

と言う。

" 睡眠不足で薬が切れた時はかなりきついよ? "

と言いつつも10日間お試しを処方してくれた。

" お値段がね~・・リタリンと比べたら何10倍・・? "

そう。

リタリンは1錠あたりの薬価は10円未満、

コンサータは300円を超える。

3割負担で1日1錠でいいと言ってもこの差は大きい。

さらにD r.は

" あれ、診断、、。あれ入ってたかなあ?

あ、でもストラテラ出てるから平気か。 "

と呟いた。

ADHDの診断がついていないと、レセプトではじかれることを

心配したのだろう。

この辺りの厄介な病は意外と、服用ミリ数が異なるが、共通の薬が多い。

帰宅後、早速コンサータを試してみたかったが、

リセットされた体には効きすぎるかもしれない。

そして何しろ夕方だ。

コンサータは服用せずにリタを1錠、舌下で服用した。

リタリン舌下錠ではない。

舌下で服用というのは、

おそらくリタなどを処方されている方は、

常かたまにかはわからないがしたことがあるだろう方法だ。

少しでも早く効くように。

土曜はもう終わりに近いがまだ少しは時間がある。

家事とか仕事の勉強とか、

ずっとやりたくて出来なかったことを少しでも進めたい。

此の所必要最低限のことすらするのが怪しかった生活の活気を、

リタ1錠で取り戻そう。

多分、数時間はそれが叶う。

ジャンキー。

なんといわれようとかまわない。

でも薬に頼るばかりではいけない。とは思う。

出来ることから。

食事も気力のある時は作るようにしたりとか、

その日に散らかしたものはその日中に片付けるとか、

出来ていた事が出来なくなってしまった事を少しずつ。

やらなければ!

と思いつめるのではなく、

負担のない程度に心掛けよう。

仕事の勉強も。

毎日の5分が1週間で35分に、

1ヶ月で155分(2時間35分)

1年で1825分(30時間25分)となるのだ。

塵も積もれば山となる。

小さなことでも続ければ

ある程度大きなものになるはずだ。

そんな前向きな気分になれるのは、薬のおかげなのだろう。

でもそれでいい。

いつか、自分のものになるのかもしれないのだから。

リタの効果で動ける。

ただ、灯りが眩しい。

ベタは服用していないので眠さは感じるが、動ける。

次々と片付けが捗る。

ただ、そう、

いつもの部屋の電気の明るさが痛みを感じるくらいに明るい。

こういうのって副作用なのかな、

と思いながらも動けるのはとても気持ちがいい。

でも動ける自分を客観的に見ると、

全くリタの作用で動いている人形のようだ。

取り憑かれた様に何かをせずにはいられない。

然し、作用が切れれば動きは止まる。

色彩の戻った生活に喜びを感じ、

同時にそれが続かぬことに哀れみを感じる。

夜になって、というか夢中で作業をしていたら日をまたいでいた。

随分とリタの作用が長持ちしたな、と思うのと、

少し疲れも感じるし、作業をやめ、寝ることにした。

寝る前の薬を服用し、朝の分の薬も用意した。

薬をセットすることが久しぶりで、

沢山ある薬がいつ服用するべきものか、

忘れてしまっているものもあった。

薬情を見ながらセットを完了する。

次の日は日曜日。

リタの代わりにコンサータを試してみることにし、寝床に入る。

翌朝、用意した目覚め朝の薬を服用。

だんだんと覚醒してきて、

此の所の覚醒とは質の違う覚醒だと思う。

頭がクリアーな感じ。

今日も頑張れそうだ。

いつか薬なしでも、こんなふうにスッキリと

起きることができるようになるのだろうか。

コンサータは穏やかな効き目だった。

ベタナミンも服用したが、眠い感じがある。

動きも今ひとつだが、疲れなくていいのかも知れない。

リタは効いているうちは張り切り過ぎてしまうから。

でも、薬がないと頑張れないなんて、そんなのってありかなぁ?

と、1日1度は考えてしまう。

薬ありきの自身の身体を否定したいが為、

だけではない。

もっともっと辛い環境で

頑張っている人たちは山程いる。

眠い、気力が湧かない、なんて、ただの甘え。

もっと切羽詰まれば嫌でも

起きられるようになるのではないか、

動かざるを得なくなるのではないか。

やっぱり自分はダメな人間なのではないか。

単なる怠け者なのではないか。

罹患して何年も経つのにこの思いは消えない。

答えは

自分自身で導き出すしかないのだけれど。

今の所、朝の薬は正確に作用し、

リタリンは早くも耐性が出来つつあるが

何とか人並みの生活が出来ている様に思う。

効き目が弱くなったと感じる前に何とか今出来ることを習慣化し

薬に頼らずとも、普通に出来ることなのだと

自分に錯覚させなければならない。

もっともっと頑張れ!