特発性過眠症と猫と

特発性過眠症と診断された筆者の病気の経緯と、一緒に暮らしている2匹の猫との暮らしの日記。終わりたいけれど、生きなくては、とも思う心の不安定な様を不定期更新しています。

生きていることに感謝していない自分にもまた今日も一日が与えられた|特発性過眠症と猫と

やりたい事、やらなければならない事はいくつもあった。

生活に必要なこと、差し迫って必要ではないがやった方がより暮らしやすくなるのでは、と思うこと、心が豊かになりそうでやってみたいこと、などなどリストにしたら結構な数になる。

 

しかし、どうにもこうにも気力がわかない。

 

正直なところ、生活に必要なこともままならない。

買い物をした物を片付けられない、シャワー浴びるのも億劫、掃除も洗濯も後回し、やっているのは仕事に行くことと猫のお世話だけ。

仕事中は他のことは考える隙間はなく、きちんとこなせる。

家に帰ってもこの調子ならなんでもできそうなものなのだが、家に帰ると途端にその糸はブツっと切れる。

休日はブツっと切れたまま、平日モードになることはない。

そんな中で、延ばし延ばしにしていよいよ、もうやらなくては後がない、例えば支払いとか、ということは渋々、もう本当に何時間もかけて自分に言い聞かせてやる。

こんな具合なのだ。

気付けばブログの更新も久しくしていなかった。日が経つのは恐ろしく早い。

 

特発性過眠症と診断され、苦しんでいるわたしにそれをブログにしたらいい、と勧めたのはパートナーだ。

わたしは知らない人たちに見られるようなツールで文章を書くなど出来ない、と言った。パートナーは、自分の覚書として、そしてどんな拙い文章でも同じ病に苦しんでいる人が見てくれて、それで同じく苦しんでいる人がいることで救われることがあるかもしれないのだからトライしてみたらいい、それによって自分の気持ちも楽になることがあるかもしれないし強制ではないのだからやめたい時にはやめればいいのだから。と言った。

そういう考えもあるのかな、と始めてみたブログだ。

 

わたしが続けられなかったとしてもパートナーはそれを責めたりしないだろう。

無理ならやる必要はないという気持ちは常にあるが、どんな手段でも何かを目に見える形にしてみることは時には大切だと思う気持ちもあるので、細々細々続けてみたいと思うのだ。誰かの為ではなく、、。

 

パートナーが唐突にいなくなってしまってから6年半経つ。

あの日から今まで生きてきたというか、死んでいないだけの日々を重ねてきた。

パートナーは自身の身体の一部であったのだと実感する。

私の身体は一部が欠損してしまった。

 

それでも「帰らぬ人」の事実を少しずつ受け止め猫たちと暮らしている。

 

去年、縁があって2頭の兄弟猫の里親になった。先住猫達も10歳を超えた。

わたしの部屋には猫しか居ない。

 

人間は感情が複雑だから付き合うのが難しい。

人間と協調して暮らすのが気力体力的に無理なのかもしれない、だから猫なのか。

よくわからないが、この4頭が今わたしの欠けた体の一部になってくれているのではないかと思う。

 

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若い猫兄弟は夜中明け方、ドタバタと走り回る。

寝ているわたしの顔の上を容赦なく駆け抜けて、もう子猫ではないから体重も5キロ、7キロを超える2頭なので、大概わたしは出血を伴う怪我をするのだが、またやってんのか。と心の中で呟きながら再び眠りに落ちる。

こんなにやかましいのが人間だったらさぞかし腹が立つだろう。

人間に対してだと、それくらいわかるであろうと思ってしまう、わたしに配慮しろ、という甘えの感情がまず働いてしまうからなのだろう。

汚い心なのだ。

 

 

睡眠外来にはしばらく行っていない。

薬は残っていないが、次の休みの日には病院に行こうと思っていても、休みの日には起きられないことと、感染症が流行り出してから外来に行くのも躊躇われたのもあり、自然に減薬、今は薬も底をつき全く服薬せずに暮らしている。

治ったわけではないのだろうが、それでも以前よりずっとまともに起きて仕事に行っている。

 

もちろん何もなかったわけではなく、寝坊したことも何度もあるし、その都度仕事の相方には、傷つく言葉を浴びせられた。

寝坊は最低、と言われるのは当たり前だとわかるが、人格を否定される言葉を浴びせ続けられるとさすがに落ち込んでしまう。

いっそこの病気の事を打ち明けようかともちらっと頭をよぎるが、そうだったのね、と言ってもらえる確率はゼロ%だろうし、そんな病気は聞いたことがない、なんでも病気といえば済むと思っているのは無責任な考えだ、それでも病気と言い張るのは自由だが、今行っている病院で治らないなら治る病院を探すべきだ、などなど言われるのはありありと想像がつく。

理解されることは彼女の性格上あり得ないと思うし、何であろうと迷惑をかけていることには変わりないのだし、出来ないのなら病気のわたしを雇ってくれる職場を探すべきなのだろうという気持ちも自分の中にある。

だから、申し訳ありません。気持ちを引き締めて今後失敗はしない様にします。

としか言わない。もちろん本心だが自信はない。

 

次の朝は起きられるのかと、眠る時には不安しかないから、最近は24時前には寝床に入る。

早く帰宅すればそれだけ早く寝ることが出来るので昼休憩も30分で終わらせたり、

まぁ薬を飲まずに日常が送れるならそれは良いことなのだと思ってはいる。

薬は本当にひどい時には勿論助けられたが、ずっと服用し続けると悪循環になりかねない、そんな気持ちがある。

早寝を心がけているこの数ヶ月は失敗はしていない。

こんな症状を持っていない人からしたら、おそらく特発性過眠症の人は寝ている時にさえ緊張を強いられているのではなかろうか。

 

なので、褒めてあげるべきだと思う。

今日起きられたのは運が良かったのもあるが、努力だってしている。

認めて欲しい。

 

こんな事を言っても何にもならないけれど。

 

当たり前と言われていることが当たり前に出来ない人がいる事を知って欲しい。

 

人は自分に置き換えて判断してしまうから、自分には考えられないことはあり得ない!としてしまう人も多い。

そういう事もあるんだろうね、大変だね、と言いつつも自分に負担がかかってくればそれは迷惑の他何でもなく、改善してほしいと思うだろう。

自分がそうだったら多分そういうふうに思ってしまうだろうから、それを酷いとは思わないけれど、他人と自分は違うということを忘れずに人と接することを心がけたい、と思う。

見えにくい事だが、自分はそれらをきちんと見て人と接したいと思う。自分にゆとりがないと、とても難しいことだけれど。

 

今日も何もせずに1日が終わった。

 

鬱の波がきている様だ。

リタリンが有れば、と思うが、あればあったでリタの力で動くので身体に無理がかかって今のリズムが乱れるだろう。

そう思うと自力でなんとかするしかない。

やる気スイッチなんてものはない、何か簡単な事でいいから始めてみるとエンジンがかかり始めて動ける様になる、とネットで検索したらそんな事が書いてある記事を見つけた。

でもその簡単なことさえ始める事ができない。

どうしたらよいのかな。もう考えることも億劫だ。誰か教えてくれないだろうか。

 

疲れた。

 

ハルシオンは切らしているから、今日はずーっと前に処方されたロヒプノールを飲んで悪夢の旅に出よう。現実逃避だ。

 

 

 

 

またの機会に。

いつだって過眠症を第1に考えなくてはならないなんて厭だな、と思う|特発性過眠症と猫と

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8月某金曜日、薬は無くなったものはなかったが

明日は診察に行かなければ。

と思っていた。

 

然し、金曜日、仕事から帰るなり、そのまま寝落ちしていた。

 

目が覚めたのは土曜の夜だった。

 

ああ、また失敗した。

 

と思った。

 

その前の月は、久々に調子が良く、

診察日に珍しく、10:30の予約時間に病院に到着した。

が、診察が終わったのはやはり12:00をまわった。

予約なしに行っても、同じような時間に終わる。

予約って意味あるのかな?

 

ま、いいか。

薬を処方してもらえれば、その日の任務は達成なのだ。

 

日常生活をなるべくスムーズに過ごすには、

ベタナミンリタリンを処方通りではなく、

若干過剰に服用せざるを得ないという事は

身体が覚えてしまっている。

就寝前のストラテラカプセルとエビリファイで眠りを浅くし、

朝起きられるようコントロールしているが、

それでも怪しげな時は多々ある。

 

眠剤は作用時間が短いハルシオンだが、

それでも眠りすぎてしまう事が怖くてしばらく服用していない。

酷い眠気で、朝起きられない恐怖が拭えない時は、

就寝前のベタ、リタも躊躇することなく実行し、

さらに眠りを浅くする。

何とか起きたそんな日は、

起床時、勤務先に着いてから、昼、仕事帰り、帰宅してから、の

ベタ、リタも欠かせない。

 

若干どころでは無い。OD。

 

身体の事など考えていない。

朝目覚め、その日1日仕事を眠らずにこなす。

それに全てを捧げているといってもよい。

 

必ずしも夜更かしをした次の日に起きることが出来ない、

ということではない。

早寝しても次の日の朝、

全ての目覚ましが聞こえない時もある。

 

そう、未だにどういう時に起きられないのかがわからないのだ。

 

勿論、アルコールを飲んで遅くに帰った次の日や、

雨の日は起きにくい。

 

ただ、希にすっきり起きられる時もある。

 

そして、起床困難には何の問題もないのに目覚ましが聞こえない日がある。

 

従って、何のデータも信用出来ず、毎晩恐怖を感じてしまう訳だ。

 

職場の人は私の病気を知らないし、

本人もカミングアウトするつもりもない。

そして、常に思っているのが、今仕事を失ったら、

何の資格もないこの年齢で

新しい仕事に就ける自信は全くないから

今の仕事を失うわけにはいかない。

という事で、

だから、どんな時でも起きなければならない。

 

 

平日は帰りが遅いので、くたびれて

やってしまえばすぐ終わる、ほんの少しのこともままならない。

 

帰宅後シャワーを浴びるのも億劫だった時期があった。

空腹だし、でも食事をするとその後何かをするのはもっと億劫になるのがわかっているから、

まずシャワーなのだが、それがなかなか行けない。

シャワーを浴びて後悔したことはないのだが、

浴びるまでがとても大変なのだった。

 

気が向く方法はないものだろうかと考え、

ドラッグストアで、何となく目に留まった

香りの良さげなボディソープをいくつか購入した。

最近では香りの良いものが多種ある。

 

その夜は、まんまとそれを試したくなり、

躊躇なくシャワーに向かう。

良い香りがして、ちょっぴり良い気持ちになった。

そしてそれだけで随分とシャワーが楽しみになった。

これでシャワーは、しばらくはクリアーだ。

 

食事も自炊に縛られず、手抜きを許した。

お金はないけれど、疲れていたら

コンビニで買ってもよい。

遅くなった日はマクドナルドだっていい。

永遠に腐らないのだし・・・

 

食べたいものなど特にないし、

倒れないようにするためだけの食事なのだ。

インスタントばかり食べるのは気が咎めるけれど、

やむを得ないときだってあるのではないか。

ほんの少し酒の肴のようなものでも

食べて空腹が埋まればそれで合格。

 

あとは、猫たちを撫でたり、

音楽をかけて自分の時間を取り戻す。

 

仕事の為の勉強は机上に山積みになっていて、

平日には手がつけられないが、

それもゆっくりやることを許した。

休みの日にもしも目覚め、そして

家事を済ませて、更に出来るならやる。くらいでもいいよと。

 

やらなければならないと決めて、

追い詰められていた頃からすると少し気持ちが楽になった。

 

然し、やるかといえば、

なかなか進まないのが現状。

 

最近思うのは、出来る時に出来ることをする。

自分のキャパを把握しそれ以上のことを課さないようにする。

精神的ストレスも過眠に悪影響を及ぼす筈だから。

 

先にのばしても明日があるかはわからない。

でも出来なければそれでも仕方がない。

もし、明日があるとすれば、なんとかなる。

と開き直る。

 

マイナス思考の自分は、

自分で自分を追い詰めることが多いのだが、ゆとりは大事。

ゆとりがなければ自身も苦しみ、

他人の気持ちも思いやることはできない。

 

そう思っていても、TO DOが減らないと

あーあ、又もや無益な1日を送ってしまった。

と激しく気持ちが乱れる。

多くを望まない事、なんて、口に出したり、文字にしたりするのは簡単な事だ。

現状はと言えば、ゆとりもへったくれもない。

毎日アップアップで、夜には全ての前向きな気持ちが削がれ、

ぐったりと疲労してしまう繰り返しだ。

 

自分の今の生活に自信と満足感を得られたら。

 

自分を管理できる様になりたい。

もっとしっかりしなくてはならないと思う。

 

他人は助けてはくれないのだ。

 

充分わかっているし、

助けてくれと要求もしない。

少しの支えにならなれるかも知れないが、

そもそも人を助けるなんて無理な話だからだ。

結局、自分のことは自分で処理、始末するしかない。

これは、世の常。

仕方のない事なのだ。

 

-仕方のない事-

 

「仕方ない」というのは、答えではない。

単なる諦めなのだが、

この言葉を発すると

何故かなんとなく納得してしまう自分がいる。

 

 

眠いのは病気だから仕方ない。

今日も何も出来なかったのは病気のせいだから仕方ない。

 

これは抗える事項なのだろうか?

 

否、果たして過眠症は病気なのか?

 

コントロールも、仲良くも、克服も、

出来ない自分。

 

周りの人々が言うように、単なる甘えなんじゃないのか?

 

罹患した頃、周囲に甘えだと散々言われて

かなり悩ましい日々を送っていた。

 

6年以上たった今でも、答えは出ない。

 

ただただ、朝の目覚めに全力を注ぎ、

日々をこなすだけ

 

 

 

 

 

 

そういえば、こんなものを見つけた。

 

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睡眠記録。

黒く塗りつぶしてある所が眠っている時間で

斜線はうとうとしていた時間。

 

 

この頃から比べれば、

随分まともに生活を送れるようになった。

それを思い返せば

まあ、現状に満足すべきなのだろう。

・・・な。

 

 

 

 

 

H24・4から6年が経ちました|特発性過眠症と猫と

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薬の後発品と先発品は同じものではない。

安くて効果は同じと、宣伝されているが、

製造方法や添加剤などは異なるものなのだ。

 

薬価は先発品と比べ、半分以下のものも存在する。

どれを置くかは薬局の判断なのだが、

薬価が低いというのは経済的に助かる。

わたしは、多量の薬を処方されている為、

後発品があるものは後発品にしていたが、

前回、全て先発品に戻した。

 

先入観なしに、後発品は薬の効いている時間が先発より短いと感じる。

安いことは魅力だが、せっかく服用するのだからきちんと効果を得たい。

 

高血圧症などと比べてニーズが少ないからか、

ベタナミンリタリンは後発品は存在しない。

したとしてもこれは変えるつもりはない。

やはり先発品が良い。

 

近頃は、オーソライズジェネリックという

添加物も製造方法も全て同じとされている後発品があると

ネットで見たことがあるが、薬局で勧められたこともない。

 

薬効が本当に同等で、

少しでも安い、

なら試してみても良いとも思うが、

薬局で特に説明も宣伝もないので、出回ってはいないのかも知れない。

 

デパスを先発に戻した。

ジェイゾロフトも、あまりの状態の悪さに2Tに増量し先発に戻した。

DR.はそっちの方が状態悪いの?とあっさり増量してくれた。

以前ひどい抑鬱の時にゾロフトは効果があった。

今はどうかわからない。

 眠剤ハルシオン

服用は殆どしていないが 、これも変えるつもりは無い。

 

先発に戻して効果は?

 

後発品は使うべきでは無い!などと断言する程には

違いは感じない。

藥、効いているんだな、と感じるが、

思い込みなのかもしれないなあ、なんて

何だか甚だ頼りないとも思うが・・・

 

過眠症は相変わらず、のらりくらりと

私の中に常駐している。

日中落ちそうになる時はあるが

ベタを1T服用すれば抑える事が出来ている。

 

朝も寝坊はしつつも、何とかギリギリクリアー出来ていて

4・5月、まあまあ調子は良い方なのかも知れないと思う。

来週は診察日なのだが、この分だと行けそうな感じだ。

 

ただ、休みの前の平日は帰宅後に

本当にホッとするのだろうと思う。

猫のご飯やトイレを整えたあと、

かなりの割合でそのまま床に行き倒れている。

痛いか寒いかで、その日の夜中、

もしくは明け方に倒れていたことに気づく。

 

特発性過眠症は、沢山寝ても目覚めスッキリ、

という事は少ない。

大概、目覚めて残る眠みと酷い頭痛に顔をしかめる。

安心して眠ったとしても、寝た場所が床だからでは無い。

過眠症ならではの頭痛に頭を押さえ、

のそのそと寝床へ向かう。

 

 

 

 

 

通勤中うとうと眠っていて、肩を叩かれたり、

昼寝中タイマーをかけて寝ていると、

時間前に肩をゆすられたり。

幻覚?なのか寝ぼけているのかわからないが近頃そんなことがよくある。

 

パートナーが、起きなきゃダメだよと合図しているのか。

パートナーの声が聞こえる時もある。

 

白昼夢。

 

心を閉ざして2年経つ。

精神に支障を来たしているのか、と思いながらも

でも、それらはわたしが思い込んだ『パートナーの仕業』としてもいいかな、

その方が素敵で楽しいじゃない?と思う。

 

偶然か気のせいだよ、で済ませられる話だが、

なんとなく不思議なことってあるのではないかなぁ、

まぁ、偶然でも気のせいだったとしても、

人に迷惑をかけない限り信じてもいいのではないかな、なんて。

姿は見えなくても、近くに思う人がいてくれたら。

 

他人には真剣な顔で言ってはいけないやつですね

 

 

 

やらないこと。やり続けること。

何かをすれば、何かが生まれる。何かが始まる。跡が残る。コロン。

また何かをすれば、2つ目の何かが生まれ、2つの「やったこと」を結んだ線(=道)ができる。

何かをし続けることで、道ができあがり、その道の両側には自らが生み出した有形無形の成果物が建造物のように立ち並んでゆく。

その風景やありようは、あとからその道に入って来たり、迷い込んできた人たちを刺激し、助け、時には救い導くことだってある。

もしいつか倒れてしまって行き止まりになっても、誰かが志を継ぎ、道は色や雰囲気を変えながらいつまでもいつまでも続いていく。

 

世の中はそうした道が縦横無尽に走ってできている大きな街のようなものなのだろう。

時に交差し、合流し、並走し、広くなったり狭くなったり、荒れたり整備されたりしながら、形なき人間の社会やこころの世界を開拓しつなげてゆくのだ。

 

今、わたしの道は完全に行き止まりになっている。

でも、それはわたしが道を作ろうとしないからだ。

大地は今もわたしを拒むことなく目の前に広がっている。道具だって高性能ではないけれど手元に揃っている。

道の作り方だって知っている。

あちこち病んではいるけれど、一応は五体満足だ。

ほれ、あと少しじゃあないか。

 

道作る人々は、立派な道具がなくたって、そのへんの枝や石を使って進んでゆく。

枝も石もなければ己の身体のみで切り開いてゆく。

情熱のため、夢のため、生活のため、志のため……理由はさまざまだけれど、道を作り続けることを決してやめない人間たちだ。

 

道を作れなくなった人、作らなくなった人にもそれぞれ理由がある。

それは誰かが取り沙汰して責めるようなものではない。

座り込んでしまうことは罪ではない。

だから、誰かが時機を見て優しく寄り添い、しばらくの間一緒に道を作ることも、ときには必要だ。

 

 

上記 パートナーの記事から

 

 

パートナーのブログの記事を今も読む。

自分の考えに縛られて、人の声が聞けなくなる。

そんな時に気持ちを解放してくれるのだ。

 

わたしはパートナーと作った道の続きを歩んでいる。

 

 

 

 

診察日 兎に角杏林を目指して|特発性過眠症と猫と

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3月10日 9時半に家を出る。

帰宅は16時。

やっとのことで杏林に行けた日だ。

予約をすっぽかしたのだから仕方がない。

待つこと数時間。

待合室には、私の他には男性1人を残し、最後から2番目に呼ばれて診察室に入る。

土曜の診察は午前中のみ。

精神科の他のD r.は診察を終えていて、

土曜は混むよなあ、とか言いながら、

食堂で昼ご飯か、

医局でお茶を飲んでいるのかも知れない時間に、

私の主治医は1人まだ診察をしている。

診察室に入ると

" どうですか? "

Dr.の口癖のような挨拶に、

" 休みの日には起きれなく、起きれた日には仕事でしばらく薬が切れています "

と答える。

D r.は電カルを見ながら

" あら。ホントだ "

だからといって咎められることはまずない。

更に睡眠時間と、昼の様子を聞かれ、

睡眠はとるよう努力はしているが、昼間はうとうとすることが多い。

と有りの侭に答える。

薬を服用していないのだから、 眠くて当然で、

何も新たな試みをする必要もない。

D r.は

" じゃ、前回と同じでいいですね "

とキーボードを叩く。

前回の記事で、コンサータを試してみては?

とコメントを頂いていた。

自分としても気になっていた薬なのだが、

何しろ薬価が高く、踏み切れないでいたのだ。

今回、だいぶ長い間リタリンを服用できなかったことで、

何1つ思うように動けなかったことが酷くダメージとなっていた。

薬がないとダメなんだな、と痛感し、

リタリンを多用するようになってしまったことも気掛かりで

徐放錠であるコンサータを少しだけ試してみようという気持ちになっていた。

" コンサータを試してみたいのですが "

とダメ元で言ってみた。

D r.は苦笑いしながら

" やる? "

と言う。

" 睡眠不足で薬が切れた時はかなりきついよ? "

と言いつつも10日間お試しを処方してくれた。

" お値段がね~・・リタリンと比べたら何10倍・・? "

そう。

リタリンは1錠あたりの薬価は10円未満、

コンサータは300円を超える。

3割負担で1日1錠でいいと言ってもこの差は大きい。

さらにD r.は

" あれ、診断、、。あれ入ってたかなあ?

あ、でもストラテラ出てるから平気か。 "

と呟いた。

ADHDの診断がついていないと、レセプトではじかれることを

心配したのだろう。

この辺りの厄介な病は意外と、服用ミリ数が異なるが、共通の薬が多い。

帰宅後、早速コンサータを試してみたかったが、

リセットされた体には効きすぎるかもしれない。

そして何しろ夕方だ。

コンサータは服用せずにリタを1錠、舌下で服用した。

リタリン舌下錠ではない。

舌下で服用というのは、

おそらくリタなどを処方されている方は、

常かたまにかはわからないがしたことがあるだろう方法だ。

少しでも早く効くように。

土曜はもう終わりに近いがまだ少しは時間がある。

家事とか仕事の勉強とか、

ずっとやりたくて出来なかったことを少しでも進めたい。

此の所必要最低限のことすらするのが怪しかった生活の活気を、

リタ1錠で取り戻そう。

多分、数時間はそれが叶う。

ジャンキー。

なんといわれようとかまわない。

でも薬に頼るばかりではいけない。とは思う。

出来ることから。

食事も気力のある時は作るようにしたりとか、

その日に散らかしたものはその日中に片付けるとか、

出来ていた事が出来なくなってしまった事を少しずつ。

やらなければ!

と思いつめるのではなく、

負担のない程度に心掛けよう。

仕事の勉強も。

毎日の5分が1週間で35分に、

1ヶ月で155分(2時間35分)

1年で1825分(30時間25分)となるのだ。

塵も積もれば山となる。

小さなことでも続ければ

ある程度大きなものになるはずだ。

そんな前向きな気分になれるのは、薬のおかげなのだろう。

でもそれでいい。

いつか、自分のものになるのかもしれないのだから。

リタの効果で動ける。

ただ、灯りが眩しい。

ベタは服用していないので眠さは感じるが、動ける。

次々と片付けが捗る。

ただ、そう、

いつもの部屋の電気の明るさが痛みを感じるくらいに明るい。

こういうのって副作用なのかな、

と思いながらも動けるのはとても気持ちがいい。

でも動ける自分を客観的に見ると、

全くリタの作用で動いている人形のようだ。

取り憑かれた様に何かをせずにはいられない。

然し、作用が切れれば動きは止まる。

色彩の戻った生活に喜びを感じ、

同時にそれが続かぬことに哀れみを感じる。

夜になって、というか夢中で作業をしていたら日をまたいでいた。

随分とリタの作用が長持ちしたな、と思うのと、

少し疲れも感じるし、作業をやめ、寝ることにした。

寝る前の薬を服用し、朝の分の薬も用意した。

薬をセットすることが久しぶりで、

沢山ある薬がいつ服用するべきものか、

忘れてしまっているものもあった。

薬情を見ながらセットを完了する。

次の日は日曜日。

リタの代わりにコンサータを試してみることにし、寝床に入る。

翌朝、用意した目覚め朝の薬を服用。

だんだんと覚醒してきて、

此の所の覚醒とは質の違う覚醒だと思う。

頭がクリアーな感じ。

今日も頑張れそうだ。

いつか薬なしでも、こんなふうにスッキリと

起きることができるようになるのだろうか。

コンサータは穏やかな効き目だった。

ベタナミンも服用したが、眠い感じがある。

動きも今ひとつだが、疲れなくていいのかも知れない。

リタは効いているうちは張り切り過ぎてしまうから。

でも、薬がないと頑張れないなんて、そんなのってありかなぁ?

と、1日1度は考えてしまう。

薬ありきの自身の身体を否定したいが為、

だけではない。

もっともっと辛い環境で

頑張っている人たちは山程いる。

眠い、気力が湧かない、なんて、ただの甘え。

もっと切羽詰まれば嫌でも

起きられるようになるのではないか、

動かざるを得なくなるのではないか。

やっぱり自分はダメな人間なのではないか。

単なる怠け者なのではないか。

罹患して何年も経つのにこの思いは消えない。

答えは

自分自身で導き出すしかないのだけれど。

今の所、朝の薬は正確に作用し、

リタリンは早くも耐性が出来つつあるが

何とか人並みの生活が出来ている様に思う。

効き目が弱くなったと感じる前に何とか今出来ることを習慣化し

薬に頼らずとも、普通に出来ることなのだと

自分に錯覚させなければならない。

もっともっと頑張れ!

此岸でもがき苦しむ|特発性過眠症と猫と

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かれこれ2ヶ月杏林に行っていない。

又もや、休みの土曜には起きられず、

そして次の週は仕事。

そんな繰り返し。

 

勿論ベタナミンリタリン、他安定剤などもとうに無い。

 

覚醒手段のベタナミンが無くては本当に心細い。

どうやって覚醒しよう、

自業自得といえばそれまでなのだが、

考えることはそればかりになってしまう。

 

薬が底をついた頃、

肩や腕や足、身体中に変に力が入り、

呼吸は浅く、歯を噛み締め、

目を見開いていた。

 

力を抜くことが出来ないのだ。

 

そしてそのまま、

何に対するものかわからない焦燥、不安、虚無感に支配されてしまう。

 

これは、覚醒剤や、向精神薬の副作用なのか。

 

つらい。

 

薬が欲しい。

 

そして情けない。

 

薬に生かされ、薬に依存している。

 

否定はしない。出来ない。

 

悲しい哉、なくてはならない存在なのだ。

 

 

 

ベタナミンリタリンは非常にオンとオフが解りやすい。

殊にリタリンに於いてはそれが顕著だ。

 

ベタナミンは生体内での消失半減期が、

約12時間と長いため、

午後には服用してはならないとされている。

 

リタリンでの最高血中濃度到達時間は約2時間で

作用発現時間は通常30分 - 1時間後、

作用持続時間は臨床的には4 - 6時間と言われているが、

実際はもっと短いと感じる。

慣れてしまっているせいかも知れない。

 

わたしはベタナミンで覚醒し、リタリンで気力を補う。

 

リタリン単独では覚醒を感じることはない。

 

なので、その用途で服用しているのだが、

ある時からリタリンだけは処方の指定以外に服用しても余るようになった。

 

診察の日数調整の為に多めに処方されてから、

DR.が元に戻すのを忘れている為だろうと思う。

 

過剰に服用するのはよくないと知りつつも、

リタリンなしでは活動的に動くことがままならない今、

多く処方してもらって困るということにはならない。

 

DR.にはその事を言い出さないで、そのまま処方してもらっている。

しかし、足りない。

他の薬は他院でもどうにかなるが、

リタリンだけはどこでも処方してもらえるものではない。

どうしたものか。

 

 

 

薬の作用が切れると本当に電池の切れた機械の様に動きが止まる。

 

自力では最早エンジンはかからない。

動けず、思考は不安と絶望に覆われる。

 

 

夜は良質な睡眠を取らなければとも思うから、

夕方からはベタ、リタの覚醒剤の類は服用しない様にと頑張るのだが、

無気力、不安やら絶望やらの負の感情、

それを抱えて眠るのは至難の技だ。

眠剤を服用して、眠ってしまえばいいのだが、

近頃は朝起きられないことが怖くて眠剤を服用できないことが多い。

 

前回処方がかわり超短時間型のハルシオンになったのだが、

ハルシオンさえ怖い。

 

血にまみれた夢を何回見ようとも、

朝起きる為ならば何回でも見よう。

特別不快なことではない。

 

私の眠剤は、眠りに入るためではなく、

夢を覚えていない様にするためだけの処方なのだから。

 

時間に目が醒めるように、それが第一。

 

 

近頃は家を出る20分前くらいに起き、

慌てて支度をし、

遅刻になるかならないかのギリギリのバスに乗り職場に向かうことが多い。

案外間に合ってしまって、心の何処かに、こんなんでもいけるのね。

という気持ちが芽生え、そして甘えてそれを繰り返す。

悪しき傾向。

何とか前の様に、出かける2時間前には起きて朝ごはんを食べ、

猫を撫でて、ちゃんと身支度して仕事に行かれる様にしたい。

 

こんなのは習慣なのだ。

 

連続でクリアーすればなんてことはない。

 

それが日常になるのだ。

 

楽な方にはすぐ流れてすぐに慣れる。

でも、それではわたしの様な人間はダメになってしまう。

 

ベタ、リタに全面依存している時点でもう既にダメなのだが、

それでもなんとか、

生活を送るのならば、

いつも眠気に追われてあたふたするのではなく

普通の人みたいに、ゆとりを持って

出来るじゃん、わたし。

と、自信が欲しいのだ。

 

やるしかないのだ。

 

でも、生に対するエネルギーは全くなく、

頑張ろうという気持ちは宙に浮かんでいる現状。

 

もう疲れ果ててしまった。

 

もう全て放棄したって いいんじゃない?

よくやった方だよ、と思う。

 

こぶーちゃんとちこがすりすりとしてくる。

そう、だめだよね、

もうちょっと頑張らなきゃこの子達の人生ならぬ猫生はお母さんにかかっている。

わたしがこの子達を守り、この子達の最期を看取るのだ。 

それはパートナーとの約束。

それだけは果たさないとならない。

亡きパートナーに対して唯一私が出来ることなのだから。

全てを、過眠症も薬剤依存も不安も絶望も。

全てを肯定し受け入れて、

明日も、

もし目が覚めたら頑張らなければ。

 

 

薬のない生活は、わたしから覚醒と気力を奪った。

勿論それは自分の所為なのだが魂の抜けた、

人間の形をした 抜け殻が日々の生活を行う。

1月末に初めてインフルエンザにかかり、

薬はもらったが、五日間熱は下がらずすっかり体力を奪われた。

 

ヘトヘトの状態でまさかのインフルエンザ。

 

ベタもリタも絶たざるを得なくなった状態で、

でも身体はリセットされ、

素の状態といえば良い状態のように思われるが、

実際はボロボロだ。

 

自分の生活もままならない。

そんなんじゃ他人のことなんて考えられるはずもない。

何も出来ない。

 

でも時間は流れている。

なんとかしなくては。

やるべき事、やりたい事は沢山ある。

 

杏林に行けるとしたら3月10日。

薬を目標に生きるのは嫌だが

すがる思いだ。

 

なんとか。

なんとか生きよう。

 

 

 

眠らずにみる夢

 

 

とても分厚い金属で作られた箱の中

勿論光など入らないし閉ざしてしまった扉は暗闇の中見つける事は出来ない

 

寒さも暑さも何も感じない  

この箱の中は快適なのか不快なのかもわからない

恐怖 不安 安堵  

どこにいるのか知りようもない

叫んでも外に声が届く事はないし叫ぶ必要もない

無感覚 無関心 無気力 思考停止 吐気  

書き換えられていく記憶 真実 矛盾 幻覚

 

この無意味な存在に終焉を  

誰でもいい    苦痛を  

痛みを  

 

与えて下さい

血の匂いを嗅ぎながら安らかに終わりを迎えたい

 

 

 

優しさの  極めて強い毒性

依存 快楽

差し伸べられればしがみついてしまいそうな

 

但し重量には制限がありそして溺れし者の力は思いの外強く

 

結句共に深く沈んでゆく事となる

 

溷濁した脳でみる夢か真実か見分けのつかない映像は微かに生きようとする心に動かぬ身体に全力でブレーキをかける

 

 

人々は自らの救済の為に他人に手を差し伸べ善行と錯覚して立ちゆかなくなり錯乱

 

 

ある者は箱に入り暗闇の中手探りで扉を見つけ  ある者は箱に入り救いの手を待ち  ある者は箱に入り全てを受け入れ横たわり  ある者は箱に入るのを拒む

 

箱に入って自ら施錠をした者には何の保証もされていない未来を

ただ恖うことすら失われる

 

思考停止した脳で何をどう受け止めればいいのだろう

 

苦しみを

生命と共に埋葬するのか

 

暗闇に両手を伸ばし

それを胸に抱き

光を探すのか

 

選択は自身に委ねられている

 

 

明け方の匂いと共に少しずつ悪夢から覚醒し

夜更けの匂いと共に箱の中へ戻る

何方が現実なのか

もはや自身にも区別がつかない

 

誰かの助けを

 

待っているのだろうか

それとも

 

 

 

 

 

また逢えたね。トリアゾラム|特発性過眠症と猫と

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DR.都合で9月は9日土曜日が診察日となった。

先月受診してからまださほど経っていない。、薬も不足なものはない、

 

前日、仕事の送別式があり普段は会うことのない人達大勢との飲み会であった。

特にセーブしたつもりはない。飲み放題なはずなのにお酒が不足していた。

 

でもそのおかげで、ほぼ素面のまま帰宅できた。

しかし帰宅は遅く、次の日はやはり目覚ましに気づいたのがスヌーズでなった9時過ぎだった。

11時の予約にはすぐ出ればギリギリで間に合うかもしれないが、

図々しくなっているわたしは軽く朝食をとった。

12時までに着ければいい。

予約時間に遅れても診てもらえるから

 

2時間経ち.呼ばれたのは1番最後で、途中に組み入れてもらうことは出来なかったらしい。

患者はもう誰もいない。

遅れてきたわたしが悪いのだから仕方ないね、

 

目覚ましの聞こえない朝が度々あり、夜の眠剤が怖くて飲めない

と伝える

処方を見直しながらDR.はエビリファイを入れましょう。あ、もう出てるか。

じゃあね、量を減らしましょう。少ない量の方が覚醒には効果がある薬なので ”

 

エビリファイOD 3mgからエビリファイ1mg 2Tに変更になった。

1 Tと2T両方試してみてね

と言った

眠剤は今も長く作用するタイプではないと思いますけれどもっと短いの、ありませんか”

レンドルミンは短い方よ。

あ、残るってことか”

 

”目覚ましが聞こえないとか、効きすぎているのかなと思いまして”

ハルシオンマイスリーがもっと短いから変えてみましょう”

 

マイスリーは好きじゃない。

 

でも、トリアゾラムは多くの精神科医が処方を渋る薬だ。このDR.はどちらを処方するか?

 

ためらいもなくDR.はハルシオン、とPCに入力した。

レンドルミンmgからハルシオンmgに変更になった。

10年程前か、不眠症であった時に、ハルシオンはずっと飲んでいて、

わたしには合っていたのか本当に超短期作用型で朝に残るということがなかった。

但し服用していつまでも起きていると、健忘はする。

   

ベンゾジアゼピン系は耐性も出来るし依存率が高い。

そして悪名高きハルシオンは医師がなかなか処方したがらない薬だが、

DR.はあっさり処方した。

ハルシオンは永いこと良き戦友で、信頼し頼っていた。

もちろん耐性は出来て、不眠の時は他に2種類の眠剤を合計3剤併用していた。

なんだか、古い友人に会えた様で、ちょっぴり嬉しかった。

 

レンドルミンは眠れなかった時期には、

ちっとも効き目がなくわたしは自分の中でヘッポコと呼んでいて、

処方されそうになると嫌だ、と言って処方させなかった。

今は服用すればぐっすり眠れる。

翌朝健忘したりフラフラしたりなど残ることもない。

ただ寝すぎてしまう。眠剤のせいかはわからない。

 

この晩は、また会えたね、とハルシオンを禁止されている2T服用して寝た。

耐性があるので1Tでは不安だし、起きるのが遅くなっても翌日は日曜だ。

 

しかし、翌日曜は明け方3時に目が覚めた。

すっきりと。久々にすっきりと目が自然に開いたのだ。

本当は就寝前の薬としては

トフラニール10mg 1T

ガパペン200mg 1T

ロナセン2mg 1T

リボトリール0.25mg 1T

エビリファイ1mg 1Tor2T

デパス0.5mg 1T

桂枝加黄耆湯 1包

ハルシオン0.25mg 1T

の服用だ。あとは夕方にストラテラカプセル25mg 1C。

 

この夜はハルシオンエビリファイしか服用しなかった。

薬が良かったのか体調の波が起きられる波なのかわからないが、起きられたことは嬉しく、家事をしたり仕事の勉強をしたり、ゆっくりと充実した1日を送れた。

 

それからは、毎晩ハルシオンを。とはならず。

やはり寝坊が怖い。

2230に寝床に入れない日は、眠剤は服用しない。

ハルシオンは大丈夫という気持ちはあるが、

念のためというか、眠れなかったあの時期とは身体が違う。

あの時期は、仮にわたしのお酒にハルシオンを盛る人がいたとしても

わたしは眠らない。そんな人はいなかったが、ハルシオンでは寝ない自信があった。

眠れなくても、なぜか離せなかった眠剤

今また思いがけず逢えた。

わたしの夜通し放映されるの血みどろの夢たちを忘れさせて。

何もかも忘れて目覚めさせて。

 

でも、眠りが怖い。

生きていて目覚めないことが怖い。

 

どうしても覚醒用の薬だけを服用してしまう悪循環。

起きられることが全て。

起きることができればそれでいい。

 

でも今が良ければそれでいいという刹那的な考えは

間違っているのではないかという思いもある。

 

ならばどうしたら。

 

生きる時間は「今」しかない。

 

それで壊れてしまう身体なら、崩壊してから考えよう。