特発性過眠症と猫と

特発性過眠症と診断された筆者の病気の経緯と、一緒に暮らしている2匹の猫との暮らしの日記。終わりたいけれど、生きなくては、とも思う心の不安定な様を不定期更新しています。

此岸でもがき苦しむ|特発性過眠症と猫と

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かれこれ2ヶ月杏林に行っていない。

又もや、休みの土曜には起きられず、

そして次の週は仕事。

そんな繰り返し。

 

勿論ベタナミンリタリン、他安定剤などもとうに無い。

 

覚醒手段のベタナミンが無くては本当に心細い。

どうやって覚醒しよう、

自業自得といえばそれまでなのだが、

考えることはそればかりになってしまう。

 

薬が底をついた頃、

肩や腕や足、身体中に変に力が入り、

呼吸は浅く、歯を噛み締め、

目を見開いていた。

 

力を抜くことが出来ないのだ。

 

そしてそのまま、

何に対するものかわからない焦燥、不安、虚無感に支配されてしまう。

 

これは、覚醒剤や、向精神薬の副作用なのか。

 

つらい。

 

薬が欲しい。

 

そして情けない。

 

薬に生かされ、薬に依存している。

 

否定はしない。出来ない。

 

悲しい哉、なくてはならない存在なのだ。

 

 

 

ベタナミンリタリンは非常にオンとオフが解りやすい。

殊にリタリンに於いてはそれが顕著だ。

 

ベタナミンは生体内での消失半減期が、

約12時間と長いため、

午後には服用してはならないとされている。

 

リタリンでの最高血中濃度到達時間は約2時間で

作用発現時間は通常30分 - 1時間後、

作用持続時間は臨床的には4 - 6時間と言われているが、

実際はもっと短いと感じる。

慣れてしまっているせいかも知れない。

 

わたしはベタナミンで覚醒し、リタリンで気力を補う。

 

リタリン単独では覚醒を感じることはない。

 

なので、その用途で服用しているのだが、

ある時からリタリンだけは処方の指定以外に服用しても余るようになった。

 

診察の日数調整の為に多めに処方されてから、

DR.が元に戻すのを忘れている為だろうと思う。

 

過剰に服用するのはよくないと知りつつも、

リタリンなしでは活動的に動くことがままならない今、

多く処方してもらって困るということにはならない。

 

DR.にはその事を言い出さないで、そのまま処方してもらっている。

しかし、足りない。

他の薬は他院でもどうにかなるが、

リタリンだけはどこでも処方してもらえるものではない。

どうしたものか。

 

 

 

薬の作用が切れると本当に電池の切れた機械の様に動きが止まる。

 

自力では最早エンジンはかからない。

動けず、思考は不安と絶望に覆われる。

 

 

夜は良質な睡眠を取らなければとも思うから、

夕方からはベタ、リタの覚醒剤の類は服用しない様にと頑張るのだが、

無気力、不安やら絶望やらの負の感情、

それを抱えて眠るのは至難の技だ。

眠剤を服用して、眠ってしまえばいいのだが、

近頃は朝起きられないことが怖くて眠剤を服用できないことが多い。

 

前回処方がかわり超短時間型のハルシオンになったのだが、

ハルシオンさえ怖い。

 

血にまみれた夢を何回見ようとも、

朝起きる為ならば何回でも見よう。

特別不快なことではない。

 

私の眠剤は、眠りに入るためではなく、

夢を覚えていない様にするためだけの処方なのだから。

 

時間に目が醒めるように、それが第一。

 

 

近頃は家を出る20分前くらいに起き、

慌てて支度をし、

遅刻になるかならないかのギリギリのバスに乗り職場に向かうことが多い。

案外間に合ってしまって、心の何処かに、こんなんでもいけるのね。

という気持ちが芽生え、そして甘えてそれを繰り返す。

悪しき傾向。

何とか前の様に、出かける2時間前には起きて朝ごはんを食べ、

猫を撫でて、ちゃんと身支度して仕事に行かれる様にしたい。

 

こんなのは習慣なのだ。

 

連続でクリアーすればなんてことはない。

 

それが日常になるのだ。

 

楽な方にはすぐ流れてすぐに慣れる。

でも、それではわたしの様な人間はダメになってしまう。

 

ベタ、リタに全面依存している時点でもう既にダメなのだが、

それでもなんとか、

生活を送るのならば、

いつも眠気に追われてあたふたするのではなく

普通の人みたいに、ゆとりを持って

出来るじゃん、わたし。

と、自信が欲しいのだ。

 

やるしかないのだ。

 

でも、生に対するエネルギーは全くなく、

頑張ろうという気持ちは宙に浮かんでいる現状。

 

もう疲れ果ててしまった。

 

もう全て放棄したって いいんじゃない?

よくやった方だよ、と思う。

 

こぶーちゃんとちこがすりすりとしてくる。

そう、だめだよね、

もうちょっと頑張らなきゃこの子達の人生ならぬ猫生はお母さんにかかっている。

わたしがこの子達を守り、この子達の最期を看取るのだ。 

それはパートナーとの約束。

それだけは果たさないとならない。

亡きパートナーに対して唯一私が出来ることなのだから。

全てを、過眠症も薬剤依存も不安も絶望も。

全てを肯定し受け入れて、

明日も、

もし目が覚めたら頑張らなければ。

 

 

薬のない生活は、わたしから覚醒と気力を奪った。

勿論それは自分の所為なのだが魂の抜けた、

人間の形をした 抜け殻が日々の生活を行う。

1月末に初めてインフルエンザにかかり、

薬はもらったが、五日間熱は下がらずすっかり体力を奪われた。

 

ヘトヘトの状態でまさかのインフルエンザ。

 

ベタもリタも絶たざるを得なくなった状態で、

でも身体はリセットされ、

素の状態といえば良い状態のように思われるが、

実際はボロボロだ。

 

自分の生活もままならない。

そんなんじゃ他人のことなんて考えられるはずもない。

何も出来ない。

 

でも時間は流れている。

なんとかしなくては。

やるべき事、やりたい事は沢山ある。

 

杏林に行けるとしたら3月10日。

薬を目標に生きるのは嫌だが

すがる思いだ。

 

なんとか。

なんとか生きよう。