特発性過眠症と猫と

特発性過眠症と診断された筆者の病気の経緯と、一緒に暮らしている2匹の猫との暮らしの日記。終わりたいけれど、生きなくては、とも思う心の不安定な様を不定期更新しています。

有給休暇。ゆっくりする予定だったのに|特発性過眠症と猫と

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水曜日、1日だけ有給休暇が取れたので、 ゆっくりと映画でも観るつもりでいた。

しかし、先週の土曜日、

案の定目覚めたのが日曜日であった為、 診察日であったのに行くことが出来なかった。

いつも余るベタナミンが無くなり、非常事態だと感じた。

どうしようかなあ、今週は土曜日仕事だし・・・ と考えていたところ、主治医は水曜も診察をしていたのでは? と思い出し、調べてみたら今も変わらず水曜の医師表に名前があったので、 急遽出かけることになったのだ。

・・映画とかって・・。やっぱ無理だよね。

土曜より空いているかと思いきや、 意外に混んでいて、 自分は予約日ではないので覚悟はしていたが、 やはり1時間半は待った。

同じく薬局でも。

夕方になったが、まあ、しかたがない。 次の日からはまた仕事だから、 遅くまで起きている事はできないが、 家に帰って発泡酒を何本かあける時間はあるのだ。 良しとすることにした。

朝がちょっと大変な日が続いている。

目覚ましが聞こえない、 音に気づいても目が覚め切らず、 寝床の中でグズグズしてしまう。

やっと寝床から這い出してもまともに歩けず、 狭い部屋で猫の飲み水をひっくり返したり、 猫本体を踏みそうになったりする。

就寝時に身体に当たる扇風機の風がだるさの原因なのか、 最近は凍結しても、柔らかいひんやりジェル枕なるものを使って寝ているが、 それが頭と首筋を冷やし過ぎているのか、 梅雨明けした途端、雨や台風がやってきて、その気圧の関係なのか、

何か外的な要因もあるような気がする。

対策を取らねば、寝床でぐずる事がルーチンになってしまう事は避けたい。

ぱっと起きることも出来るんだよ、という事を身体が忘れてしまったら困る。

家を出る2時間前には起床したい。

それができていた日々もあったのだ。

私は寝起きがとても悪いために、家を出る1時間前に起きるのでは 仕度は何とか出来るが、慌ただしすぎる。

猫のこぶーちゃんとちこにもかまってあげられない。

そして、満員電車を乗り継ぎ、 そのまま気を抜けない仕事に突入だ。

今の仕事をしくじる訳にはいかない。

しくじったら成るように成るしか無いのだが、 なるべくならあの無職期間を再度味わうなどしたくはない。

よって、自分が特発性過眠症に罹患している事、 前職を過眠症が原因で解雇になっている事、 休みの土曜に月1で病院にかかっている事、 過眠症ブログをしている事、などなど。 特発性過眠症過眠症の事は今の職場の人間には極秘だ。

親しくなった様に感じても、打ち明けるつもりはない。

寝坊による遅刻が頻繁になったり、 前の様に仕事中に眠ってしまうとかない限りは、 自分の評価を下げる事は言う必要はないと思っている。

特発性過眠症の理解者などそうそういないからだ。

大変だよね、頑張って。 なんて言ってくれても自分に迷惑がかかってくれば、 態度は豹変し、眠いなんて気持ちの問題じゃないの?と。

そう思うのはごく普通のことかもしれないが、 わたしにしてみればうわべだけの理解者。

信用ならない。

傷つくだけなのだから、打ち明ける必要はない。

そんな目で見られれば、本当に交通機関の遅延で遅刻しても また寝坊なんでしょ?と見られかねない。

でも、生活を共にする人からしたら、 過眠症の症状、たまったものではない。と思う。

度重なれば人ってなんで自分ばかり負担を負うのか? と当然思うものだから。

パートナーは本当に理解者であった。

いや、理解者ではない。

わたしをわかってくれていた。

こう言うのが一番しっくりくる。

パートナーは20代でステージ4の癌を患い、 奇跡的に完治したと治療を終え、 15年後再発し、ここを去った。

最初の癌での入院中、死を近くに感じ、意識し、 これまでの考え方が変わったと言っていた。

穏やかで、上手く言えないが心の広い人間であった。

わたしの朝起きられない度重なる様に、 自分がこんなに大変な思いして起こしているのに、ちっとも起きない、 など思わないでいてくれた。 ずっと変わらず、入院する寸前までわたしを毎朝起こし続けてくれた。

でも、わたしが甘えで起きない時にはちゃんと見抜いていた。

パートナーの日記というのか雑記というのか、 片付けをしていて見つけたノートには、 自身のことわたしのことが綴られていてわかったのだ。

どうしても起きれられないわたしに、イラつきを感じることなく、 全力で協力してくれた。

こんなにわたしをわかってくれるには人はそうそう出会う事はできないだろう。

だからわたしは、他人には病気を打ち明けない。

いい人だと思っても理解者になってくれるとは限らない。

わかってくれるとは限らない。

迷惑を迷惑と捉えない人などいるだろうか?

特殊な環境下にいた人、 もしくは同じ病に苦しむ人しか理解できないであろう。

人をわかってあげることは大変なことだ。 自分が不安定な状態では到底無理なことだ。

口先だけで優しいことを言う人間も沢山いる。 心が弱っている時には、そんな言葉に騙されてしまう。

わたしは傷つくのは嫌だ。

だから、他人に弱いところは見せない。

助けてとも言わない。

いや、今に始まった事ではなく、 物心ついた頃から、人にSOSを出せない性格で、 結局決めて、それをするのは自分なんだから、と いつでも何でも1人で解決してきた。

弱さを見せたのは、唯一パートナーだけだ。

だからパートナーはわたしを全力で支えてくれたのだろう。

そのパートナーは、今はいない。

わたしはまた孤独に戦うだけだ。

こぶーちゃんとちこを看取るまでは 何としても生きるつもりだが、 その後は、任務終了で、 もうここにいなくてもいいのだ。

何でも打ち明けることの出来る仲間がいないわたしを、 可哀想だと思いますか?

わたしは他人に対して、何も求めるものはありません。

人は人、自分は自分。

そう考える方が、閉ざして生きること方がずっと楽だ。

楽しいという感情は刹那的なもの。

その代わり喪失感や悲しみは四六時中身体を支配するのだ。

これ以上傷つくのはごめんだ。

ガン検診で引っかかった肺の再検に行った|特発性過眠症と猫と

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今年の1月のがん検診で、左肺に2箇所、

” 肉芽種疑い有り ”という通知が届いた。

半年以内に再検する様に、とあった。

 

この先に命に関わってくる事だとしても、

それならそれでいいや、むしろその方が。

という気持ちがあった。

 

パートナーを失ってから、生きるということに

意味があるとは思えないでいるからだ。

でも、周囲が心配してしまっていること、

こぶーちゃんとちこを残して先に逝くわけにいかないこと、

などの理由から、再検に行ってきた。

 

結果は、

1月の画像より大きくなっているわけではないし、

恐らく、肺炎などの際の炎症の傷でしょう。

と言われた。

肺炎になったことなどないのだが、

まあ、心配いらないとのことなので、

少し生き延びた気持ちを感じながら、病院を後にし、

仕事へ向かった。

 

そうね、こぶーちゃんとちこを最後までみる事が

私の残された使命だから、健康で頑張らなきゃね。

先に逝くなんて考えてごめんね。と反省した。

 

過眠症の方はとても辛い月だった。

何しろ眠い。

本当はやりたくない就寝前のベタナミン作戦も

何度もした。

 

朝は遅刻か?と危うい日もあり、設定時間に起きる事が

できないのは毎日。

2度寝もしてしまうし、

(ただ、自分の中では2度寝は甘えだとの認識)

午後もベタナミンリタリンを服用しても

眠い。

行きも帰りも電車で朦朧。

土曜に仕事から帰って、シャワーを浴びて、

早寝して、目が覚めたら月曜日だった時は

流石にこの病気、特発性過眠症を恨んだ。

 

 

今週は嬉しい3連休。

やらなければならない事が溜まっているので

次の日休日なのに、ベタナミンを飲んで眠り

朝なんとか起きた。

家事をしていたはずなのに、ふと気付くと

床に倒れている。

眠っていた様だ。

知らないうちに眠っているのは

本当に怖い事だと思う。

理解者もそうそういないしね。

 

順調に行っていたかと思うと

ずるずると底に引きずり下ろされる。

 

有効な治療方法はない。

 

 

眠さと戦っている最中、仕事の人から

飲みに誘われ、大久保に行った。

もちろん韓国料理のお店で、

サムギョプサルを食べた。

とってもぶ厚いお肉で、包む葉っぱも

たくさんの種類があって、食べ放題。

女子3人だったので、お肉だけでお腹いっぱい。

美味しかったが、中盤からお肉の脂が

きつくなってきて、家に着いてからも

口の中が脂の匂いでいっぱいで、ちょっと辛かった。

そういえば私は、お肉はあまり得意ではなかったのだった。

 

帰りがけ、韓国好きの2人は、市場によるというので付いて行った。

韓国のスーパーという感じ。

勧められてマッコリをカゴに入れた。

あとは買うものもないし、、と思いながらウロウロしていると

かっぱえびせんの様なものを見つけた。

しかも半額になっていて、味は違うのかな?

とカゴに入れた。

 

買ったものはそれだけ。

 

そして、かっぱえびせんはまだ開封されずに我が家にある。

 

 

眠い。

梅雨というのもあるのだろう。

気圧低下の頭痛も頻繁にある。

 

でも、あまり考えない様にしよう。

なる様にしかならないのだから。

 

来週の休みには、直売所に

トウモロコシを買いに行きたい。

1人ではどうなのだろう。

パートナーと一緒に美味しいね!

と言った、あの時と同じ味がするのだろうか。

 

 

休みの日なのに病院ではないところに行って来ましたよ|特発性過眠症と猫と

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27日、土曜日は東京ドームにプロ野球を観に行った。

 

プロ野球には全く興味はないのだが、

仕事場の人にチケットをもらってしまうのだ。

 

一緒に働いている人は、東京生まれで巨人ファンなので

それは大変大喜びでわたしを誘う。

 

この日で巨人戦を観に行くのは4回目になる。

 

高校野球観戦だったら喜んで出かけるのだが、、、

 

巨人の選手は1人も名前も知らない。

(4回目にしてやっとサカモトさんとシンノスケさんの名前は記憶した。

顔は残念ながらわからない)

 

仕事場の人には、

” 他の方を誘っていいんですよ?私でなくても・・”

というのだが

” ううん、いいの。行くでしょ?”

 

まあいいか。お付き合いだしね、

と言い聞かせて出かけた。

 

席に着くや否や、可愛いお姉ちゃんから高いビールを買う。

殆ど飲みに行っているようなものだ。

出かける前に家でもいい加減飲んでいるというのに・・

 

私はスポーツ全般に興味がない。

しかし野球だけは、ルールは知っているし、

しかもとてもいい席だったりするし、

全くつまらないというわけでもなく

流石プロだなあと感心する場面もあったり。

この日の試合は酷いものだったけれど。

 

 

たまには杏林以外に外出も必要なのだろうから、

時間もったいなかったなとか、

深く考えないようにしている。

人と一緒に飲むお酒はまた美味しいから。

 

今週は朝はきちんと起きることができたが、

午前中が眠くて眠くて仕方のない週だった。

また来月、診察に行けなかったら

薬も節約しておかないとな、とも思い、

朝にベタの追加はせずドリンク剤を飲んだりして何とか耐えた。

 

通勤中は激混みの中央線でも立ったままうとうとしてしまう。

駅につく度に、降りる人乗る人にどつかれまくって、

一瞬目が冷めるのだが、

今ここが何処なのか、何故ここにいるのか、家なのかわからない。

夜は眠剤も不要で、猫のちことじゃらしで5分ほど遊んで、

すぐに眠りに落ちる。

寝付くのに1分もかかっていないのではと思う。

 

でも、なんとなく過眠症の眠さとは違うような気がした。

普通の人の睡眠不足の眠さのような感じで、

寝坊してしまうのでは?仕事中眠ってしまうのでは?

といった不安は少なかった。

 

回復?

いや、やっぱり薬のおかげなのかな。

 

 

 

猫達は季節柄抜け毛が激しい。

服も部屋もすぐに毛だらけとなる。

 

家族にこの様な毛深い者がいない人達は

顔をしかめるだろう。

 

掃除とスキンシップも兼ねて、

朝晩こぶーちゃんとちこにブラシをかける。

面白い様に毛が取れる。

そして2人とも気持ちよさそうに目を閉じて喉を鳴らす。

そんな時間にわたしも癒される。

 

だから朝晩の猫たちとの時間は出来る限り優先している。

 

仕事に行けば、昼休憩の1時間しか緊張から逃れられないので

1日の約半分は気持ちがざわざわしていて、精神的に疲労する。

 

朝晩猫たちに安らぎをもらい、

日中は猫たちのために労働を賃金に変える。

家族を守る大黒柱のお父さんの様な感じ?なのかな。

 

ちこが25日で6歳になった。

(元野良ちゃんなので推定誕生日だが。)

ちこのほうが1か月年上で

 こぶーちゃんは6月27日で6歳。

こぶーちゃんの方が年下だが、ちこの面倒をよく見ていて

まるでお姉ちゃんみたいだ。

 

こぶーちゃんとちこは従姉妹。

 

こぶーちゃんはわたしと暮らしていたが、

ちこはパートナーの猫だった。

心無い人による虐待でちこはパートナーに保護され、

そしてわたしと暮らすようになった。

ちこは虐待により今もびっこだが本人は気にする様子もなく、

毎日じゃらしを咥えて、わたしの元に『遊ぶ?』とやってくる。

 

わたしはお母さんであり、お父さんであり。

毎日こんななのだが、今はそれでいいかな。

 

だって、一人じゃないと言っても、

実際一人だし、

まだ一人で何か違うことをするエネルギーも蓄えられていないし、

いつも支えてくれていた人がいないから、いろんな事が

何しろ怖いのだもの。

 

 

 

やれば出来る。やっと診察へ|特発性過眠症と猫と

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明日土曜は、仕事が休みだ。

何が何でも薬をもらいに行かなくては。

 

でも起きられる自信がない。

眠らずに土曜の朝を迎えるのが最善策なのかも知れない。

ベタナミンリタリンを服用すれば、一晩くらい起きていられる。

 

でも1週間働いた体は疲労MAXと言っているし、

徹夜をすると次の日、動悸が激しくなる。辛いのだ。

 

なので眠ることにした。

ストラテラベタナミンは節約したから数錠だが余っている。

これらを服用して23時に寝床へ入った。

 

もちろん眠剤は無しだ。

 

” 明日は仕事だから起きなくてはならない。”

 

仕事ではなく診察なのだが、

緊張感を持たせるため、自分を騙すつもりで

30回頭の中で唱えた。

 

目が覚めたのは、土曜日の明け方2時半だった。

 

やった。行ける。

慌てて枕元にセット済みの薬を水筒の氷水で流し込む。

そして、2度寝をしてしまう前に寝床から出た。

 

いかんせん早起きすぎるのだけれど、そして外は雨が降っているのだけれど

普通に生活を送るためには、杏林に行かなくてはならない。

 

温かい紅茶を入れて、ぼんやりしたり本を読んだり

猫にちょっかいを出したり、のんびり朝食を作ったりしていたら、

あっという間に出かける時間となった。

 

” お母さんはちょっと病院まで出かけてくるよ。

いい子で待っててね。ちゃんと帰ってくるから ”

 

猫のこぶーちゃんとちこにそう言って頭にキスをして

部屋を出る。

あとはひたすら待てば薬がもらえる。

 

 

4月15日が予約の日だったのだが、起きる事が出来ず、

翌週22日も起きる事が出来ず、その翌週29日は旗日で、

翌月5月6日は仕事であった。

予約日から1ヶ月も診察に行けずにいた。

薬は節約をして、リタリンだけはだいぶ残っていたが、

あとはストラテラカプセル、ベタナミンが数錠のみで

他7種類あまりの薬はとうに無くなっていた。

当たり前だが。

 

薬がなくて不安の日々は、それでも何とか寝坊はせずに済んだのだが、

日々の疲労・脱力感は結構ひどく、ヘパリーゼなんかを飲んで

何とか通常を保った感じだ。

このヘパリーゼ、暗示かも知れないが、

眠気には効果はないけれど、少し疲れが取れるような気がしている。

常備してもいいかも知れないな、などと思う。

 

 

 

Dr.に平日は2時半とかに目が醒める事が多い事、

休みの日になると目覚まし音は全く聞こえずに

30時間は平気で眠ってしまう事を話した。

 

” 気持ちが緩んでしまうんですかね。

とても嫌なのですが、どうしようもなくて・・”

 

と言うとDr.は

 

” この手の薬をこれだけ飲んでいれば

週末は睡眠不足でそうなるのは当然です ”

 

と言った。

 

・・そうなのか。

甘えじゃなかったんだ。

 

何だかとてもホッとしてしまった。

 

でも6月10日にはまた診察だ。

起きられないのは当然、とは言われても、

起きなくてはならない休日もあるのだ。

ストラテラカプセルとベタナミンを飲んで眠っても

起きる事が出来ない時もある。

ホッとしている場合ではないのかも。

 

これさえあれば大丈夫!という何かを見つけたいと切に思う。

 

・・・まあ、そんなものは存在しないだろうけれど。

 

眠りにつくためのものは色々あるのに、

(我が家にも2匹の強力な眠剤がいるけれど)

眠りから覚めるためのものはあまりないと思う。

 

ドリンク剤も、朝の太陽光だって過眠症には効果はないのだから。

 

耐性の出来ない覚せい剤を、作って欲しい。

 

薬は勿論完全ではないけれど、今一番頼っているのは

薬だということ、自分の力で生きている感じがしなくて

厭なのだけれど、でもこれは紛れもない事実で、

いい加減認めないといけないなあと思っている。

だけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また撃沈。病院に行きたい!|特発性過眠症と猫と

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4月15日の土曜日は、杏林の予約日だったのだが、 またしても撃沈。

目覚めたのは日曜の夕方だった。 勿論キャンセルの連絡など入れていない。

自分にほとほと呆れながら、来週の土曜日こそ 絶対に行かなくては、と思う。

22日の金曜夜、明日は起きるぞ、とベタナミンを飲んで眠った。

目覚めたのは、土曜の夜。

日曜日でなかったのは嬉しいことだが、 またしても病院に行けなかった。

布団の上で膝を抱えて座り、しばし打ちひしがれる。

どうしてなんだろう。

先週はダメな週で、3回寝坊をして、うち1回遅刻。

でも今週は優秀で、1度も寝坊しなかったのに。

ここのところ、次の日が休みとなると、 甘えが出るのか、安心してしまうのか、 起きる事が出来ない。

今は3個の目覚まし時計と、ラジオ。

それと3:45分から15分おきに鳴るように セットしたiPhoneの5個の目覚ましで起きている。

休みの日もリズムを崩さないように 同じ時間に鳴るようにしている。

どうしても日中眠いようなら、 床で浅い眠りの昼寝をすれば良いと思うから。

しかし、そのどれもが聞こえないのだ。

聞こえていて2度寝をするなら対策もあるが、 聞こえないのは、なす術がない。

薬たちを入れている引き出しは スカスカになっている。

来週の土曜日は、仕事が休みだ。 でも旗日。

杏林も休みだろう。

その次の土曜は出勤日だ。

さて。 どうすべきか。

この先3週間はだいぶ無理をしないといけないようだが 果たしてその無理でしのげるのだろうか。

・・・と、人ごとのように言っているが 本当はとても心配。

ここしばらく服用している昼のリタリンベタナミン。 薬の節約のために控えようか。

昼に服用すると、帰宅した時に楽な事を発見した時から 続けていたが、近頃、前ほど効果を感じない。

朝も抜かないと本当のリセットにはならないが、 プチリセット、になるかもしれない。

まあ、前向きに、何とかやってみるしかないな。

そういえば、4月は過眠症の診察と、 他に呼吸器内科の診察を 受ける予定でいた。

年末のがん検診で、左肺に2箇所 ”肉芽種疑い、半年後再検 ” という結果が届いたからだ。

おそらく何ともないだろうが、念のため。

別に死んでも構わないが、こぶーちゃんとちこが 生きているうちは生きていないとならない。

健診でも色んなところが引っかかり、 歳をとるってこういう事なのね、と思う。

13日はパートナーの誕生日だったので お参りに行った。

誕生日といっても、パートナーは もう歳をとることはない。

私ばかり2つもババアになってしまった。

パートナーが笑っている気がする。

色んな事が残念でならない。

ミッションコンプリート 診察日|特発性過眠症と猫と

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調子よくすっきりと目覚めることが出来ていた日が続いたのだが、

次の週、訪れたのは目覚ましの聞こえない週だった。

かろうじて仕事に遅れるほどの寝坊はなかったが、

明日は起きれるのかと夜、眠るのが怖かった。

 

昨日は診察日であった。

薬もないし、絶対に行かなければならない。

なので、夜に眠剤は飲まずに代わりにベタナミンを飲んで寝た。

何とか目覚ましは聞こえたが、眠くて動くことが出来ない。

そんな中、こぶーちゃんとちこがゴロゴロと言いながら

代わる代わる布団の中に入ってくる。

幸せな地獄。

 

2時間の葛藤の末、何とか杏林へ向かった。

予約時間30分の遅刻。

予約時間に行っても、大概待つことになるし、

それに耐えられなくて、誰にも告げずに帰ってしまう人もいる。

他人事ながら、薬、あるのだろうか、などとぼんやり思う。

 

診察は5分で終わる。特に薬の変更はない。

 

薬局でも、小一時間待つ。

処方されているリタリンは、シートの薬ではなく

瓶詰めなので、一々分包してもらわなくてはならない。

時間がかかるので、ある時から朝の分、昼の分、と

まとめて容器に入れてもらうようお願いをしている。

それなら錠数を数えて、ざざっと容器に入れるだけだ。

しかし、この所、

リタリンを容器に詰めたりするので、

一時間位かかりますが、宜しいですか? ”

と言われる。

え?ざざっと入れるだけなのに?

と思うが、まあ薬の種類も多いし、仕方ない。

変な言い訳しなければいいのに。とは思う。

 

 

最近処方されたストラテラは効いているような気がする。

ダメな時はベタナミンリタリンを服用しても、何をしてもダメなのだけれど。

でも、何となくだが、起きやすくなった気がしている。

暗示なのかもしれないが、暗示というのも大切な要素。

ストラテラを服用し、目覚ましをセットし、

枕を4回叩いて、明日4時に起きる!

と唱えて眠りにつく。

 

 

この頃の土日が休みの週末は、金曜の夜に寝て、撃沈。

日曜の昼過ぎに目覚め、たくさん眠ってもすっきりせず、

何の意欲もなく、起きてもなあ・・・と思う。

そのまま寝続けられることができるのだが、

次の日は仕事なので、仕方なく起き上がる。

身体中がだるく、このまま寝たら次の日歩くことさえままならなくなるから。

飲まず食わずだったのに、お腹が空いているのかもわからない。

とりあえず発泡酒を開けて、考える。

そして、やりたいことはたくさんあったのに、時間を無駄にしたことを責め立てる。

いつもそうだ。

片付けられないものがどんどん溜まっていき、

部屋が汚いことにストレスを感じる。悪循環。

丸一日寝たからとてスッキリすることはなく、

頭も痛いし、背中も痛い。

何か食べようと思っても、食べたいものも思い浮かばずどうして良いのかわからない。

あればヨーグルトやなんかのやわらかいものを口にしてみるが、

それでもお腹が空いているのかわからない。

食べると気持ちが悪くなったりすらする。

そして、どうして起きられないのか、考えてもどうしようもないことをずっと考える。

 

罹患して間もない頃、起きることが出来ないので、

睡眠を浅くしようと1年以上、布団ではなく、床で眠っていたなあ・・

などと思い返す。

起きられないなら眠らなければ良い、と、1週間眠らずに過ごせるわけがないのに

ベタナミンリタリンを飲んで徹夜をし続けたこともあったなあ。

それで、吉祥寺に住んでいた頃、明け方に近所の組長宅への

銃声を聞いたんだっけなあ。

 

発泡酒の空き缶ばかり増え、何もしない週末が終わる。

 

うまく付き合おうとしているのに、突っぱねられる。

いつになったらわかりあえる様になるのだろうか。

 

 

 

 

 

4回目のチャレンジ。やっと病院へ。|特発性過眠症と猫と

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休みの日となると仕事からの緊張が解けるのか、寝過ごすつもりはないのだが、

診察日と言えども目覚し時計の音が聞こえない。

失敗続きで、時遅し,目が覚めた時は言葉に表せない、

消えてしまいたいような気持ちになる。

2月4日の土曜日は4回目の診察日チャレンジとなり、なんとか成功した。


この週は、なぜだか順調に起きることができていた。

ストラテラカプセルの効果なのか、3時ごろにパッチリと覚醒してしまう日もあり、

早いなあと思うが2度寝はせず、朝の覚せい剤他諸々を氷水で流し込み、寝床から出る。


少しくらい早くても寝坊するよりかは遥かに良い。と、最近思う。


3度も診察を逃して、もうとっくにリタリンベタナミンしか薬のストックがなくっており、

随分前から、明日は起きることが出来るのか?と不安倍増の日々であった。


わたしの診てもらっているDr.は予約日を逃しても、

土曜の午前中の受付時間を過ぎてしまっていても、

ほかのDr.と違い、受け入れてくれる。
重症の患者を多く診ているからなのだろう。

過眠症の外来のわたしは、睡眠外来という括りだが、

大きく言えばそこは精神科で、今でこそやや一般的になってはいるが

一昔前なら精神科に通っているなどと知れたらばえらいことになる診療科で、

一昔前の人間であるわたしは

やはり精神科に通っていることを大きな声では言えないでいる。


過眠症に罹患する前も、メンタルクリニックに通っていた。
鬱だったり、今とは逆で眠れなかったり。

足して2で割りたいと今は思う。


わたしの場合は、眠れない方が楽だったと思う。
楽という言い方は語弊があるかも知れないが、

眠すぎるのは、社会的立場から見てもマイナス、ダメージが多いということは事実なのだ。

不眠は、眠剤を何錠かか飲めば何となく眠れて、

健忘や翌朝作用が少し残ることはあったが、それだけだった。

過眠は覚醒しなければ薬を飲めないし、

覚醒剤を飲んでも覚醒しないことも多々ある。


怠惰、の一言で片付けられがちだが、そればかりではない。


でも、不眠も過眠もないに越したことはないと思う。
どちらも眠りの悩みから解放されたいと心から願っているはずなのだ。
だから臨床医がいて患者がいる。
いつか普通に生活出来ることを思い描いて、病院に行き薬を服用する。
努力が足りないなどと思わないで欲しい。
誰よりも本人が一番治りたいと思っているのだ。

全てを理解してとは言わない。無理だから。
でも治療薬のないこの病。

死と連動はしていない。

一般の病気の概念から外れてしまい、認めてくれる人は少ない。

そのことも大きく罹患者を苦しめている。

 

本日は薬の変更なし。

やっとレギュラー薬が揃い、安堵する。

薬がなければ通常の生活が送れないのは悲しいが、

致し方ないものね。






先日、とても久しぶりにある方からメッセージを頂いた。


どうしているかなあ、と心配をしていた方だったので、

メッセージを頂いたことをとても嬉しく思った。


同時に心配していたことが的中してしまっていたので、

やっぱりそうだったのか、と悲しい気持ちにもなった。

わたしと同じく過眠症に罹患していて、

いつもわたしに頑張ろうという気持ちをくれる方だ。

今現在、とても辛い状況下にいるが、生を選択し、

何とか頑張ろうとしている。
懸命に周囲を見回し、冷静であれと自分を制し、

今時分に出来ることをしようとしている。

立派だなあと思った。


自分はなんだと思った。

辛い辛いと一生懸命同情乞うて果てろ。

こんな歌詞があったが、今のわたしだ。


自分が一番可哀想と思っているつもりはないが、

辛い辛いと嘆いているのは事実。
なってない。甘えているんだ。

誰かが助けてくれると思っているのでは?

人は皆、誰もが一人だ。
自分のことは自分でやらなくては、何も始まらないし何も終わらない。
誰もやってはくれないのだ。

いっぺんにじゃなくていい。

少しずつでいいから自分で片付けなくてはならない。
少しずつでもやっていけばいつかは解決する日が来るはずだ。


色々と背負う物は増えて来るが、それが生きるということなのだと思う。

 

人は生まれたら必ず死ぬ。

死は、自ら選択する人もあるが、大抵は明日も生きていると言う前提で

眠りにつく。

生と死は、実はとても近く、隣り合わせで存在するのに

そのことを意識する機会はとても少ない。

 

 

 

 

 




パートナーのことを少し書いておきたいと思う。



とても心の大きな人だった。

人の悪口は言わないし、怒り、罵りや憎しみの類の感情を見せたことはなかった。
いや、見せないというのではなく、

本当にそういった感情を持ち合わせていない感じであった。
何事にも先入観を持たずに、誰に対しても常識的に心を開く人だった。
頭が良く、話が上手だった。

ユーモアがあり、友人が数え切れないほどいた。



わたしと同じ職場に入社するまでは、フリーランス

ウェブサイトや本、CDなどデザインの仕事をしていた。
絵を描くのもとても上手だった。

楽しむ時は楽しむ。

 

次の日仕事早いから、ちょっと今日はこれで・・・

などしらけることは言わない。

人ともたくさん関わりあって、尚且つ自分の時間も持つ。


パートナーの周りだけ無限の時間が流れているようだった。



生活を共にするまでは、仕事を終えると二人で缶ビールを片手に、

ずっと話しながらずっと笑いながら、一駅も二駅も歩きまわり、

話し足りなくて、お店に入って食事をしながらまた話した。

次の日には職場でまた会えるのに、

駅に着いてもなかなか離れがたく、

明日ね、と手を振るのは結局終電車が来てからだ。

まるで十代のカップルのようだね、と笑いあった。

二人の世界の中では、わたしは特発性過眠症の悩みを忘れることが出来た。


” 理解をすることは難しいかもしれないけれど、

見ていて大変なことはよく解るし、頑張って戦っていることもよく解る。

だから自分は全面協力をすることを惜しまない。
でも甘えているのが見える人には、厳しくするよ。

せっかく二人でいるのだから、不足する部分は片方が補えばいい ”


そう言ってくれた。
そうしてそれは、パートナーが息を引き取るまで続いたのだ。

わたしはと言うと、いつの間にか、全身でパートナーに依存をしていた。

 


主治医は、二年前くらいから発症していたはずだと言った。
生活を共にするようになった頃だ。

わたしは全く気づかなかった。


勿論様々な変異も認めていたが、これ程にまで重篤な変異だとは考えもしなかった。


パートナーは自身の辛く思っていることをあまり多く語らなかった。

 


わたしは自分のことばかりでいっぱいになって、大切なパートナーを守れなかった。



このことはおそらく死ぬまで悔やみ、悔やみ抜いても報われることはないだろう。
失ったものの大きさに、今も対応ができない。


パートナーはわたし自身であった。


失った部分は、再生することもなく、別のもので補われることもない。


そう、欠損したままわたしはこのまま一人死を迎える。

抱え切れない不安を抱えて。
でも別にそれが哀れなどとは思わない。

死ぬ時は皆一人だ。

今は思う。

生きていくことの方が困難だ。


生きている人間には生きた感情があり、その感情は変動する。
感情をコントロールすることは難しい。
だから、生きているもの同士はうまくいかなくなることが多々ある。
努力が足りないとかではない。

生きた感情を持つ限り仕方のないことだ。

それが生なのだから。


わたしとパートナーの関係は、これからも変わらない。
ずっと。

わたしがどんな感情を持とうとも、対立することはない。

手を伸ばせば、いつもそこにあった大きくて力強くて、

暖かい体温を持ったパートナーの手は、もうどこにもない。
こんなにもあっさりと肉体は消え去ってしまうものなのかと思う。


もしかしたらこれは夢なのではないか。
パートナーがいたことも夢。

共に過ごした時間も夢。

こぶーちゃんもちこも。


そしてわたしがここに存在していることも夢なのかもしれない。


だとしても醒めるまでは戦わなくてはならないだろう。
今までそうしてきたように。


夢から覚めたら、わたしは存在などしていなかった。

 

きっと、やっと休めるんだろうね。