特発性過眠症と猫と

特発性過眠症と診断された筆者の病気の経緯と、一緒に暮らしている猫との暮らしの日記

4回目のチャレンジ。やっと病院へ。|特発性過眠症と猫と

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休みの日となると仕事からの緊張が解けるのか、寝過ごすつもりはないのだが、

診察日と言えども目覚し時計の音が聞こえない。

失敗続きで、時遅し,目が覚めた時は言葉に表せない、

消えてしまいたいような気持ちになる。

2月4日の土曜日は4回目の診察日チャレンジとなり、なんとか成功した。


この週は、なぜだか順調に起きることができていた。

ストラテラカプセルの効果なのか、3時ごろにパッチリと覚醒してしまう日もあり、

早いなあと思うが2度寝はせず、朝の覚せい剤他諸々を氷水で流し込み、寝床から出る。


少しくらい早くても寝坊するよりかは遥かに良い。と、最近思う。


3度も診察を逃して、もうとっくにリタリンベタナミンしか薬のストックがなくっており、

随分前から、明日は起きることが出来るのか?と不安倍増の日々であった。


わたしの診てもらっているDr.は予約日を逃しても、

土曜の午前中の受付時間を過ぎてしまっていても、

ほかのDr.と違い、受け入れてくれる。
重症の患者を多く診ているからなのだろう。

過眠症の外来のわたしは、睡眠外来という括りだが、

大きく言えばそこは精神科で、今でこそやや一般的になってはいるが

一昔前なら精神科に通っているなどと知れたらばえらいことになる診療科で、

一昔前の人間であるわたしは

やはり精神科に通っていることを大きな声では言えないでいる。


過眠症に罹患する前も、メンタルクリニックに通っていた。
鬱だったり、今とは逆で眠れなかったり。

足して2で割りたいと今は思う。


わたしの場合は、眠れない方が楽だったと思う。
楽という言い方は語弊があるかも知れないが、

眠すぎるのは、社会的立場から見てもマイナス、ダメージが多いということは事実なのだ。

不眠は、眠剤を何錠かか飲めば何となく眠れて、

健忘や翌朝作用が少し残ることはあったが、それだけだった。

過眠は覚醒しなければ薬を飲めないし、

覚醒剤を飲んでも覚醒しないことも多々ある。


怠惰、の一言で片付けられがちだが、そればかりではない。


でも、不眠も過眠もないに越したことはないと思う。
どちらも眠りの悩みから解放されたいと心から願っているはずなのだ。
だから臨床医がいて患者がいる。
いつか普通に生活出来ることを思い描いて、病院に行き薬を服用する。
努力が足りないなどと思わないで欲しい。
誰よりも本人が一番治りたいと思っているのだ。

全てを理解してとは言わない。無理だから。
でも治療薬のないこの病。

死と連動はしていない。

一般の病気の概念から外れてしまい、認めてくれる人は少ない。

そのことも大きく罹患者を苦しめている。

 

本日は薬の変更なし。

やっとレギュラー薬が揃い、安堵する。

薬がなければ通常の生活が送れないのは悲しいが、

致し方ないものね。






先日、とても久しぶりにある方からメッセージを頂いた。


どうしているかなあ、と心配をしていた方だったので、

メッセージを頂いたことをとても嬉しく思った。


同時に心配していたことが的中してしまっていたので、

やっぱりそうだったのか、と悲しい気持ちにもなった。

わたしと同じく過眠症に罹患していて、

いつもわたしに頑張ろうという気持ちをくれる方だ。

今現在、とても辛い状況下にいるが、生を選択し、

何とか頑張ろうとしている。
懸命に周囲を見回し、冷静であれと自分を制し、

今時分に出来ることをしようとしている。

立派だなあと思った。


自分はなんだと思った。

辛い辛いと一生懸命同情乞うて果てろ。

こんな歌詞があったが、今のわたしだ。


自分が一番可哀想と思っているつもりはないが、

辛い辛いと嘆いているのは事実。
なってない。甘えているんだ。

誰かが助けてくれると思っているのでは?

人は皆、誰もが一人だ。
自分のことは自分でやらなくては、何も始まらないし何も終わらない。
誰もやってはくれないのだ。

いっぺんにじゃなくていい。

少しずつでいいから自分で片付けなくてはならない。
少しずつでもやっていけばいつかは解決する日が来るはずだ。


色々と背負う物は増えて来るが、それが生きるということなのだと思う。

 

人は生まれたら必ず死ぬ。

死は、自ら選択する人もあるが、大抵は明日も生きていると言う前提で

眠りにつく。

生と死は、実はとても近く、隣り合わせで存在するのに

そのことを意識する機会はとても少ない。

 

 

 

 

 




パートナーのことを少し書いておきたいと思う。



とても心の大きな人だった。

人の悪口は言わないし、怒り、罵りや憎しみの類の感情を見せたことはなかった。
いや、見せないというのではなく、

本当にそういった感情を持ち合わせていない感じであった。
何事にも先入観を持たずに、誰に対しても常識的に心を開く人だった。
頭が良く、話が上手だった。

ユーモアがあり、友人が数え切れないほどいた。



わたしと同じ職場に入社するまでは、フリーランス

ウェブサイトや本、CDなどデザインの仕事をしていた。
絵を描くのもとても上手だった。

楽しむ時は楽しむ。

 

次の日仕事早いから、ちょっと今日はこれで・・・

などしらけることは言わない。

人ともたくさん関わりあって、尚且つ自分の時間も持つ。


パートナーの周りだけ無限の時間が流れているようだった。



生活を共にするまでは、仕事を終えると二人で缶ビールを片手に、

ずっと話しながらずっと笑いながら、一駅も二駅も歩きまわり、

話し足りなくて、お店に入って食事をしながらまた話した。

次の日には職場でまた会えるのに、

駅に着いてもなかなか離れがたく、

明日ね、と手を振るのは結局終電車が来てからだ。

まるで十代のカップルのようだね、と笑いあった。

二人の世界の中では、わたしは特発性過眠症の悩みを忘れることが出来た。


” 理解をすることは難しいかもしれないけれど、

見ていて大変なことはよく解るし、頑張って戦っていることもよく解る。

だから自分は全面協力をすることを惜しまない。
でも甘えているのが見える人には、厳しくするよ。

せっかく二人でいるのだから、不足する部分は片方が補えばいい ”


そう言ってくれた。
そうしてそれは、パートナーが息を引き取るまで続いたのだ。

わたしはと言うと、いつの間にか、全身でパートナーに依存をしていた。

 


主治医は、二年前くらいから発症していたはずだと言った。
生活を共にするようになった頃だ。

わたしは全く気づかなかった。


勿論様々な変異も認めていたが、これ程にまで重篤な変異だとは考えもしなかった。


パートナーは自身の辛く思っていることをあまり多く語らなかった。

 


わたしは自分のことばかりでいっぱいになって、大切なパートナーを守れなかった。



このことはおそらく死ぬまで悔やみ、悔やみ抜いても報われることはないだろう。
失ったものの大きさに、今も対応ができない。


パートナーはわたし自身であった。


失った部分は、再生することもなく、別のもので補われることもない。


そう、欠損したままわたしはこのまま一人死を迎える。

抱え切れない不安を抱えて。
でも別にそれが哀れなどとは思わない。

死ぬ時は皆一人だ。

今は思う。

生きていくことの方が困難だ。


生きている人間には生きた感情があり、その感情は変動する。
感情をコントロールすることは難しい。
だから、生きているもの同士はうまくいかなくなることが多々ある。
努力が足りないとかではない。

生きた感情を持つ限り仕方のないことだ。

それが生なのだから。


わたしとパートナーの関係は、これからも変わらない。
ずっと。

わたしがどんな感情を持とうとも、対立することはない。

手を伸ばせば、いつもそこにあった大きくて力強くて、

暖かい体温を持ったパートナーの手は、もうどこにもない。
こんなにもあっさりと肉体は消え去ってしまうものなのかと思う。


もしかしたらこれは夢なのではないか。
パートナーがいたことも夢。

共に過ごした時間も夢。

こぶーちゃんもちこも。


そしてわたしがここに存在していることも夢なのかもしれない。


だとしても醒めるまでは戦わなくてはならないだろう。
今までそうしてきたように。


夢から覚めたら、わたしは存在などしていなかった。

 

きっと、やっと休めるんだろうね。

 

 

 

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