特発性過眠症と猫と

特発性過眠症と診断された筆者の病気の経緯と、一緒に暮らしている2匹の猫との暮らしの日記。終わりたいけれど、生きなくては、とも思う心の不安定な様を不定期更新しています。

いつだって過眠症を第1に考えなくてはならないなんて厭だな、と思う|特発性過眠症と猫と

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8月某金曜日、薬は無くなったものはなかったが

明日は診察に行かなければ。

と思っていた。

 

然し、金曜日、仕事から帰るなり、そのまま寝落ちしていた。

 

目が覚めたのは土曜の夜だった。

 

ああ、また失敗した。

 

と思った。

 

その前の月は、久々に調子が良く、

診察日に珍しく、10:30の予約時間に病院に到着した。

が、診察が終わったのはやはり12:00をまわった。

予約なしに行っても、同じような時間に終わる。

予約って意味あるのかな?

 

ま、いいか。

薬を処方してもらえれば、その日の任務は達成なのだ。

 

日常生活をなるべくスムーズに過ごすには、

ベタナミンリタリンを処方通りではなく、

若干過剰に服用せざるを得ないという事は

身体が覚えてしまっている。

就寝前のストラテラカプセルとエビリファイで眠りを浅くし、

朝起きられるようコントロールしているが、

それでも怪しげな時は多々ある。

 

眠剤は作用時間が短いハルシオンだが、

それでも眠りすぎてしまう事が怖くてしばらく服用していない。

酷い眠気で、朝起きられない恐怖が拭えない時は、

就寝前のベタ、リタも躊躇することなく実行し、

さらに眠りを浅くする。

何とか起きたそんな日は、

起床時、勤務先に着いてから、昼、仕事帰り、帰宅してから、の

ベタ、リタも欠かせない。

 

若干どころでは無い。OD。

 

身体の事など考えていない。

朝目覚め、その日1日仕事を眠らずにこなす。

それに全てを捧げているといってもよい。

 

必ずしも夜更かしをした次の日に起きることが出来ない、

ということではない。

早寝しても次の日の朝、

全ての目覚ましが聞こえない時もある。

 

そう、未だにどういう時に起きられないのかがわからないのだ。

 

勿論、アルコールを飲んで遅くに帰った次の日や、

雨の日は起きにくい。

 

ただ、希にすっきり起きられる時もある。

 

そして、起床困難には何の問題もないのに目覚ましが聞こえない日がある。

 

従って、何のデータも信用出来ず、毎晩恐怖を感じてしまう訳だ。

 

職場の人は私の病気を知らないし、

本人もカミングアウトするつもりもない。

そして、常に思っているのが、今仕事を失ったら、

何の資格もないこの年齢で

新しい仕事に就ける自信は全くないから

今の仕事を失うわけにはいかない。

という事で、

だから、どんな時でも起きなければならない。

 

 

平日は帰りが遅いので、くたびれて

やってしまえばすぐ終わる、ほんの少しのこともままならない。

 

帰宅後シャワーを浴びるのも億劫だった時期があった。

空腹だし、でも食事をするとその後何かをするのはもっと億劫になるのがわかっているから、

まずシャワーなのだが、それがなかなか行けない。

シャワーを浴びて後悔したことはないのだが、

浴びるまでがとても大変なのだった。

 

気が向く方法はないものだろうかと考え、

ドラッグストアで、何となく目に留まった

香りの良さげなボディソープをいくつか購入した。

最近では香りの良いものが多種ある。

 

その夜は、まんまとそれを試したくなり、

躊躇なくシャワーに向かう。

良い香りがして、ちょっぴり良い気持ちになった。

そしてそれだけで随分とシャワーが楽しみになった。

これでシャワーは、しばらくはクリアーだ。

 

食事も自炊に縛られず、手抜きを許した。

お金はないけれど、疲れていたら

コンビニで買ってもよい。

遅くなった日はマクドナルドだっていい。

永遠に腐らないのだし・・・

 

食べたいものなど特にないし、

倒れないようにするためだけの食事なのだ。

インスタントばかり食べるのは気が咎めるけれど、

やむを得ないときだってあるのではないか。

ほんの少し酒の肴のようなものでも

食べて空腹が埋まればそれで合格。

 

あとは、猫たちを撫でたり、

音楽をかけて自分の時間を取り戻す。

 

仕事の為の勉強は机上に山積みになっていて、

平日には手がつけられないが、

それもゆっくりやることを許した。

休みの日にもしも目覚め、そして

家事を済ませて、更に出来るならやる。くらいでもいいよと。

 

やらなければならないと決めて、

追い詰められていた頃からすると少し気持ちが楽になった。

 

然し、やるかといえば、

なかなか進まないのが現状。

 

最近思うのは、出来る時に出来ることをする。

自分のキャパを把握しそれ以上のことを課さないようにする。

精神的ストレスも過眠に悪影響を及ぼす筈だから。

 

先にのばしても明日があるかはわからない。

でも出来なければそれでも仕方がない。

もし、明日があるとすれば、なんとかなる。

と開き直る。

 

マイナス思考の自分は、

自分で自分を追い詰めることが多いのだが、ゆとりは大事。

ゆとりがなければ自身も苦しみ、

他人の気持ちも思いやることはできない。

 

そう思っていても、TO DOが減らないと

あーあ、又もや無益な1日を送ってしまった。

と激しく気持ちが乱れる。

多くを望まない事、なんて、口に出したり、文字にしたりするのは簡単な事だ。

現状はと言えば、ゆとりもへったくれもない。

毎日アップアップで、夜には全ての前向きな気持ちが削がれ、

ぐったりと疲労してしまう繰り返しだ。

 

自分の今の生活に自信と満足感を得られたら。

 

自分を管理できる様になりたい。

もっとしっかりしなくてはならないと思う。

 

他人は助けてはくれないのだ。

 

充分わかっているし、

助けてくれと要求もしない。

少しの支えにならなれるかも知れないが、

そもそも人を助けるなんて無理な話だからだ。

結局、自分のことは自分で処理、始末するしかない。

これは、世の常。

仕方のない事なのだ。

 

-仕方のない事-

 

「仕方ない」というのは、答えではない。

単なる諦めなのだが、

この言葉を発すると

何故かなんとなく納得してしまう自分がいる。

 

 

眠いのは病気だから仕方ない。

今日も何も出来なかったのは病気のせいだから仕方ない。

 

これは抗える事項なのだろうか?

 

否、果たして過眠症は病気なのか?

 

コントロールも、仲良くも、克服も、

出来ない自分。

 

周りの人々が言うように、単なる甘えなんじゃないのか?

 

罹患した頃、周囲に甘えだと散々言われて

かなり悩ましい日々を送っていた。

 

6年以上たった今でも、答えは出ない。

 

ただただ、朝の目覚めに全力を注ぎ、

日々をこなすだけ

 

 

 

 

 

 

そういえば、こんなものを見つけた。

 

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睡眠記録。

黒く塗りつぶしてある所が眠っている時間で

斜線はうとうとしていた時間。

 

 

この頃から比べれば、

随分まともに生活を送れるようになった。

それを思い返せば

まあ、現状に満足すべきなのだろう。

・・・な。